評価:60/100
公開日(日本) | 2016年1月30日 |
上映時間 | 107分 |
映画の概要
この作品は、『十二国記』シリーズでお馴染みの、ホラーからファンタジーまで幅広いジャンルを手掛ける作家である小野不由美さんが執筆したホラー小説『残穢』を原作とする実写映画版です。
原作の持ち味である作者自身が語り手として登場し、とあるマンションで起こった怪奇現象の顛末 を報告することで土地にまつわる穢れの恐ろしさがジワジワと染み出してくるという手法が完全に殺されており『残穢』の映画版としては不満しかない駄作でした。
映像化するにあたってやってはいけない改変や、力を注ぐ箇所を見誤るなど、何から何までアプローチに失敗し尽くしており、褒める箇所は特にありません。
原作の持ち味を殺し尽くす最低な映像化アプローチ
端的に言って本作は原作の妙味を殺しただけの失敗作です。
小説版の『残穢』が大好きだったので、映画版は見始めて数分で怒りが湧き上がり、ほとんど冷静に見ることが出来ませんでした。
まず、原作小説の何が素晴らしいかと言ったら、作者である小野不由美さんがしれっと作家役として小説内に登場し、語り手として事件に絡んでいくというアイデアです。
映画版は主人公である作家が架空のホラー作家という設定になっているため、小野不由美さんが執筆する小説に小野不由美さんにしか見えない作家が出てくるという油断ならない緊張が完全に消え失せました。
例えるなら、映画『ラストアクション・ヒーロー』でシュワルツェネッガー役が本人ではないとか、『その男、ヴァン・ダム』でヴァン・ダム役を別人の役者が演じているとか、『グラントリノ』の主演がイーストウッドではないとか、漫画の『stand by me 描クえもん』で主人公が佐藤秀峰さんとは似ても似つかない漫画を描いているとか、その人の実人生に深く根ざしている内容だから強く惹かれるのにその要素を抜くという悪手を選んでしまい、バカバカしくて興が削がれます。
小野不由美さんの作家人生に絡めた話なのに、主人公を架空のホラー作家にしたら何の意味もなく、なんでこの映画を作っている人たちはそんなことも分からないのかと心底呆れました。
結果、普通のホラー小説と差別化しようと斬新な手法で書かれた原作小説を、あろうことかただの凡庸なホラー映画に戻してしまうという愚を犯しており、見る価値もありません。
映画版は、原作のルポルタージュ風に淡々とした文章で書くことで、現実と虚構の境を限りなく曖昧にしてしまうという優れた部分をどう映像で表現するのかという点ではなく、単に原作で出てくるそれ事態に意味があるわけでもない心霊現象の映像化に力を入れているため、力点の置き所が完全にズレています。
原作小説で小野不由美さんがわざわざ「怪談としてはありきたりで面白味に欠ける」と書いていた、着物姿で首を吊り帯 が床を擦る幽霊や、全身黒こげで地面を這い回る幽霊などを真剣に怖く見せようとするため、案の上ありきたりで面白味に欠けるホラー映画にしかなっていません。
それに、原作は迷信深くて土地にまつわる儀礼的なことをきちんとしていた年配の層と、わりと土地に対してルーズな若者世代を対比させ、より現代は土地に対する意識が低く、残穢が拡大しやすいという恐怖を支えるディテールがしっかりあったのに、映画版はここがごっそり欠けており、あまり土地そのものが穢れているという設定が恐ろしいと感じません。
数少ない映画版の優れた点
全体的には原作小説のほうが遙かに勝りますが、センスのいい映像への置き換えがされている箇所もありました。
一番驚かされたのが、怪奇現象が起こるマンションの周辺に以前存在したゴミ屋敷の描き方が映画のほうが理に叶っていたことです。
原作ではただのゴミ屋敷としか書かれていないので、頭の中で思い描く映像は家の周りにゴミが散乱しているテレビのワイドショーなどで見掛けるゴミ屋敷像なのに、映画版はフェンスを張り巡らせた家の敷地内だけにゴミがぎゅうぎゅうに詰まっており、ゴミが周囲にまったく散乱していないというかなり特殊な家として描かれています。
そのため、家主がだらしないからゴミが溜まっているのではなく、明らかに何か明確な意図があって敷地内にゴミを溜め込んでいるのが一発で分かり、ここは原作小説よりも怪奇現象に悩まされながらも最低限周囲への配慮もする家主の不憫さが際立ち、映画のほうがより優れて見えました。
最後に
非常に優れた原作小説が凡作以下のホラー映画になってしまい不満しかありません。
このような傑作である原作小説を凡作や駄作にするしか能のない日本の映画業界の没落ぶりは本当に深刻だなと危機感を抱くほど期待外れの出来でした。
小説版
リンク
リンク