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四谷怪談を文学として再創造した傑作 「嗤う伊右衛門(いえもん)」 著者:京極夏彦 〈書評・レビュー・感想〉

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評価:90/100
作品情報
著者 京極夏彦
出版日 1997年6月1日

短評

 
 歌舞伎や落語、演劇や映画など様々な媒体で派生作品が作られた怪談の定番中の定番である四谷よつや怪談をモチーフにした時代小説。
 
 主人公であるお岩や伊右衛門いえもんの人物設定は現代人が見てもなんら違和感なく馴染めるようアレンジされ、様々な人間模様が交錯するドロドロの群像劇はより磨きがかかりと、元の四谷怪談に引っ張られ過ぎない大胆な換骨奪胎と、四谷怪談のツボを外さない繊細さが特徴。
 
 四谷怪談を下敷きにしているにも関わらず、全ての人間は加害者であり被害者という多面的な人物描写や、お岩のキャラクターをフェミニズム的な文脈で再解釈し直し一人の人間として違和感なく成立させる手腕、百鬼夜行シリーズの『魍魎の匣』のような文章の倒錯感と、小説全体に京極夏彦の作家性が濃密に滲み出ており、四谷怪談抜きのオリジナル作品としても楽しめる。
 
 四谷怪談の新解釈としても斬新な上に、京極夏彦作品としても一切の隙がない完成度で、どこをどう見ても文句の付けようがない傑作!!
 

この世の何も愛せない男と、愛が深い故に身を滅ぼす者たちの織り成す悲劇

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 この作品は、歌舞伎や落語、演劇に映画とあらゆる媒体で語り継がれてきた四谷怪談をモチーフとしながら、登場人物を現代でも通用する悩みを抱えた者たちとして再解釈し直し、本来ならお岩と伊右衛門を中心とする復讐劇を互いの想いがすれ違い続ける悲恋とするなど、大胆なアレンジがほどこされた時代小説です。
 
 元の四谷怪談と異なり、お岩が死後に幽霊となり化けて出て、憎き伊右衛門に復讐するような一種カタルシスのあるような怪奇要素は取り除かれています。あくまで不器用な生き方しか出来ない登場人物たちの人間模様が徐々に悲劇へと発展する苦々しく救いのない話として描かれ、元の四谷怪談とは似て非なる作品です。
 
 この小説を読んで最初に驚かされるのが、四谷怪談という何度も繰り返し再生産され過ぎて作品からカビ臭さすら匂ってきそうな題材ながら、古臭さが微塵もないことです。
 
 その主な要因は、主人公である伊右衛門やお岩が過去のどの四谷怪談とも似ても似つかない斬新な描かれ方をしているため。
 
 本来なら一番の悪役のはずの伊右衛門は生まれて一度も笑ったことがないという朴訥ぼくとつでマジメを絵に描いたような堅物で、伊右衛門への愛を裏切られ幽霊になってまで復讐に走るお岩は本作ではまったく他人に興味を持たず我が道のみを行くが強い性格と、この二人の人物像が元から180度引っ繰り返っているため、本来の四谷怪談から受ける印象と大きく異なります。
 
 四谷怪談とタイトルに記載せず、一見それと分からないように『嗤う伊右衛門』としたのもセンスが良く、古臭い怪談という先入観を回避し、かつ生まれてから一度も笑ったことがない伊右衛門がどのタイミングで笑うのかという期待と緊張を生む効果もあり、このタイトルは一度最後まで読むと完璧に近いなと思います。
 
 では四谷怪談の原形がないかと言うとこれが四谷怪談以外の何物でもない男女の愛がすれ違う悲劇の物語で、核となる部分には手を加えず、現代にそぐわない箇所は大胆に手を加えるという、不易流行がしっかり出来た古いのに新しい四谷怪談に仕上がっており、文句の付けようがありません。
 

出来ればこれを読む前に『魍魎の匣』を先に読んだほうがラストのある展開でドキッとするため余韻の強烈さが増すと思います

原作があるゆえに強烈に滲み出る京極夏彦らしさ

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 四谷怪談を題材にしているため、いつもの小説に比べたら京極夏彦らしさが薄まると思いきや実際に読むとその逆でした。むしろオリジナル作品は作家性が満遍なく小説全体に行き渡っているのに対し、原作がある場合は原作らしさも尊重しなければならず、おのずと譲れない部分に集中して作家性が噴出するため癖がより際立ちます。
 
 この『嗤う伊右衛門』を読むと、やはり京極夏彦さんの特徴は憑き物落としで、今回は特にお岩像の刷新が鮮烈でした。
 
 伊右衛門に盲目的に従順で、死後は幽霊になってまで好いた男に付きまとうお岩がサバサバして他者に依存しない自己を確立した一人の人間として描かれ直し、女の嫉妬深さの象徴のような存在だったお岩がその呪縛から解き放たれたような一種清々しさを感じます。
 
 百鬼夜行シリーズではお馴染みの、何か妄念に取り憑かれ自分を見失った者が京極堂(中禅寺秋彦ちゅうぜんじ あきひこ)の憑き物落としで本来の自分を再発見し、それを見守る読者側もまた偏見という憑き物が落ちるという構造をそのまま四谷怪談という怪談そのものに適応させてしまう大胆さで、四谷怪談そのものへの思い込みが綺麗に溶けました。
 
 それに、蚊帳かや按摩あんまの持つ杖や刀、くしといった小道具の効果的な見せ方も堂に入っており惚れ惚れします。
 
 百鬼夜行シリーズの憑き物落としの際にあえて憑き物が落ちやすいように日常から離れた空間や雰囲気を演出し、対象の心に言葉がより届きやすくするというテクニックにも通じる、小道具へと興味を誘導しそれがある瞬間に物語を揺さぶる重要な役割を担うことで場面そのものの衝撃も増すなど、この見せ場を盛り上げるための細やかな配慮が京極夏彦作品を読む贅沢さを支えているのだと思います。
 

最後に

 
 妖怪小説を得意とする京極夏彦さんがまるで妖怪の背負う悲劇性が形作られる過程をひも解くような試みで、非常に刺激的でした。
 
 思ったことを言わずにはいられない周囲も本人も傷だらけのお岩や、融通の効かない堅物すぎて相手をやきもきさせる伊右衛門、元の四谷怪談におけるお岩の執念深さや伊右衛門の悪逆非道ぶりを一手に担う伊藤喜兵衛という目に余る極悪ぶりを発揮しながらもどこまでも人間らしく二人を翻弄する悪役と、不器用な天の邪鬼たちが四谷怪談に新たな息吹をもたらした傑作!!
 

京極夏彦作品

 

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