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新たなる種の胎動 『イツロベ』 著者:藤木稟 〈書評・レビュー・感想〉

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評価:85/100
作品情報
著者 藤木稟
出版日 1999年7月1日

小説の概要

 
 この作品は、アフリカへの医療ボランティアに志願した産婦人科医間野まの祥一しょういちが、レポジトリ(神の森)と呼ばれる禁断の地に住む未開の部族ラウツカ族や、謎の生き物ル・ルイと出会うことで、過去に封印した出産に関する記憶が蘇り精神がむしばまれていくパラノイアックなサスペンス小説です。
 
 人の進化が鍵となる『イツロベ』、『テンダーワールド』、『アークトゥールス』という同じ世界観を持つ三部作の一作目でもあります。三作品に共通する一つのジャンルに縛られず、SFやホラー、科学にオカルトに宗教にと、作者が好む素材がごった煮の作風も共通です。
 
 ただ、『テンダーワールド』や『アークトゥールス』のような世界規模の壮大なスケールの話ではなく、一人の医者が過去に犯した罪の意識に苦しめられるというシュールレアリスム色が強い話のため、三部作の中では最も地味です。
 
似たような題材の小説

 
 普通の小説なら、主人公が封印した過去の記憶が蘇るだけのこぢんまりとした話に落ち着きそうなものですが、そこから出産というモチーフを広げ、最終的にアナログな人類からデジタルな人類への進化という突拍子もない飛躍を遂げる様は、紛う事なき藤木稟作品らしい豪快さでした。
 

ホラーでもありSFでもある、何でもアリな三部作の序章

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 この作品の最大の魅力は、続編である『テンダーワールド』や『アークトゥールス』と同様に、常識に囚われず様々なジャンルを縦横無尽じゅうおうむじんに横断し続ける痛快さです。
 
 小説の構成は、主人公が医療ボランティアとしてアフリカを訪れた際の神秘的な体験が語られる前編と、日本に帰国してから自分が信じていた日常が崩壊していく後編に別れていますが、そもそもビックリするくらい前後編に明確なストーリーの繋がりがありません。きっと作者の頭の中では人類発祥の地であるアフリカと、新たな人類の誕生とが有機的に繋がっているであろうと想像できる程度で、この整合性にさほどこだわりもしない思い切りの良さは続編をすでに読んでいる身としては非常に喜ばしいものでした。
 
 この手のシュールレアリスム系の作品としては標準的な、封印した過去の記憶が明らかとなるにつれ、周りの登場人物たち(子供を人生のお荷物としか見ない産婦人科の患者や、愛する恋人に対し極めて自己中心的で無責任な態度を取る同僚の郷田、一見ただの自堕落な人間にしか見えない父親、など)が、実は主人公の一側面を象徴する存在であることが分かり、否応なく自分が過去に犯した罪や自身の暗部と向き合う展開はありきたりで、特に目新しさはありませんでした。
 
 しかし、藤木稟作品が凄いのは、出産という題材に絡め旧人類とは異なる新たな種の誕生というとんでもない話が平行して描かれ、それが特に違和感もなく馴染んでいることです。
 
 この小説を書く際に、出産に関する罪の記憶に囚われる男の話と、アフリカの未開部族に語り継がれる創世神話と、人類がデジタル化することで新たな進化を遂げるという話のどれを先に思い付き、なぜそれとは似て非なる話を並行させて語ろうと思ったのかは皆目見当が付きません。
 
 このまったくベクトルが異なる設定が一つの作品内に混在する珍妙さは、基本は近未来の世界を舞台とするサイバーパンク風SFなのに突然スピリチュアルな話や精霊や悪霊、ネイティブ・アメリカンの神話の神が登場する『テンダーワールド』の無秩序さに見事引き継がれています
 
 一作目にしてすでに次の場面で起こる出来事が予想不可能なトリップ感や、一体何を読まされているのか徐々に頭が混乱していく藤木稟ワールドは見事に確立されており、このジャンルに縛られない姿勢をより進化させた『テンダーワールド』はやはり傑作だったなと思い知ることとなりました。
 

一作目だけ読むと“ゴスペル”という続編にも登場するネットゲームの存在が他の設定から浮いているのに一切気にもしない態度が藤木稟作品らしいです

『アークトゥールス』の誤解

 
 自分は『テンダーワールド』と『アークトゥールス』という本作の続編を先に読んでいたため、事前の予想と本作の実際のストーリーにあまりにもギャップがあり困惑しました。
 
 その理由は、続編の中でも特に完結編である『アークトゥールス』がこの『イツロベ』と密接に絡んでおり、そこから受ける印象ではてっきりアフリカのレポジトリ(神の森)に住まうラウツカ族という部族が信仰する神話の謎が解き明かされていく民俗学ホラーのような作風なのかと思っていました。
 
 しかし、実際はラウツカ族の細かい設定はこの『イツロベ』にさほど関係もなく、単に主人公の医者にまつわるサブエピソードの一つ程度の扱いのため、やや拍子抜けでした。
 
 それに『アークトゥールス』を読んだ際は『イツロベ』を未読ゆえに細かい部分が理解出来ないと勘違いしましたが、実際は『イツロベ』を読んでいないと理解出来ない謎というのはほぼ皆無で、『アークトゥールス』単体だけでも成立するように書かれていたのだと分かりました。
 
 三部作の序章として見た場合、本作はあまりにも設定が思わせぶりなだけで具体的な説明が何もないため、後付け設定だらけの『アークトゥールス』だけでも十分謎を説明し切れており、事前にこの作品を読んでおく必要は特にありませんでした。
 
 ただ、旧人類とは異なる新たな種の誕生というコンセプトは三部作全てに共通し、しかも人類の新たなステージへの進化という流れは『イツロベ』で予兆が示され、『テンダーワールド』でより発展し、完結編の『アークトゥールス』で綺麗に着地するという序破急じょはきゅうの流れが完璧で、やはり三部作全てを順繰りに読んだほうがラストの感動がより増すことは確実です。
 

最後に

 
 一人の医者が罪の意識に苦しむという小さな話と、人類がデジタルに適応し新たな進化を始めるという大きな話を破綻させずに盛り込む手腕はさすが藤木稟作品という手並みで感服しました。
 
 それに、一作目を読んだことで一人の気弱な医者の苦悩から、世界を裏で牛耳る秘密組織との戦いへとスケールが飛躍する『テンダーワールド』はいかに異様な作品なのか分かり改めてその凄さに痺れました。なぜこのような不器用な人間たちのすれ違いを描くような話から、全身がサイボーグに改造されたツォロスティアや、通常の人間を遙かに凌駕する知能を持つデザイン・チャイルドのFBI捜査官カトラーが人類を裏で操る組織と対峙していくという続編が生まれるのか、その物語の急加速ぶりはコチラの理解の範疇を超えます。
 
 この小さくまとまることを避け、どこまでも突き抜け常識から飛び出してみせるという意気込みは、一作目の『イツロベ』から完結編の『アークトゥールス』まで完璧に貫き通されており、ここまで首尾一貫していると痛快です。
 

多分一番近い感触の作品は、それぞれのエピソードごとに何百何千年も時間が飛び、まったく異なる物語が展開される手塚治虫の漫画『火の鳥』シリーズだと思います

続編

 
 
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