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合わせ鏡の平氏と源氏の興亡史 『義経』 大河ドラマ 〈レビュー・感想〉

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評価:100/100
作品情報
放送期間 2005年1月~12月
話数 全49話
放送局 NHK

ドラマの概要

 
 この作品は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武将みなもとの義経よしつねの生涯を描くNHKの大河ドラマです。
 
 平清盛が義経と頼朝の父である源義朝よしともを倒し平氏の世となる平治へいじの乱(1159年)から始まり、頼朝が奥州藤原氏を滅ぼす1189年までの約30年の出来事が描かれます。
 
 原作は『宮尾本 平家物語』と『義経』という二作がありますが、9割9分は『宮尾本 平家物語』が元となっており、随筆(エッセイ)である『義経』はあまり関係がありません。
 
 物語の主人公は源義経ながら、決して源氏に肩入れせず、源氏と平氏を均等に主役とすることで両者の興亡が合わせ鏡になるという大河ドラマの長尺を最大限に活かした豪華さが特徴です。
 
 それに、仏教的な無常観が濃厚な『平家物語』のトーンをそのまま採用しているため、全編ひたすら悲劇が連続するどこまでも残酷な物語となっており、明るい要素はほとんどありません。
 
 平氏と源氏、滅びを定められた二つの一族が織り成す悲しくはかない興亡史と、信じていた者たちに次々と裏切られる義経がそれでも自分の理想の国を求め各地を彷徨い歩く、決して救いなどない流離譚りゅうりたんが絡まり合う悲劇は圧巻でした。
 
 ただただむごく、切なく、苦しい人生の中でも決して理想を捨てず最後まで残酷な運命に抗い続けた義経の生き様に心打たれ、これまで見た大河ドラマの中でも一番好きな作品になりました。
 

清盛から義経へ受け継がれる“他者を憐れむ心”

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 このドラマ最大の見所は、なんと言っても大河ドラマの長尺を活用仕切った源氏と平氏、対立する両者を平等に描き切ることで、二つの家の興亡の歴史が合わせ鏡となり対比される脚本・構成の見事さです。
 
 まず最初に一族の長である平清盛が築き上げた平氏の栄華をじっくりと見せ、同時に平治の乱で敗北した源氏の没落を描くことで真逆の境遇である両者を対比。
 
 次に抜きんでたリーダーであった平清盛の死によって衰退する平氏と、逆にカリスマとして一族を率いる頼朝や義経の活躍で盛り返す源氏の勢いの対比。
 
 最後は一族の結束が固かった平氏と、身内同士で殺し合う源氏を対比させ、結局世の中は良くなったのか悪くなったのか、平氏の世と源氏の世で何が違うのかを問い、その負の連鎖から抜け出そうと新たな道を模索し続けた義経の生き様が一際輝くという、源氏と平氏の興亡を軸とする重層的な物語は大河ドラマでないと到底味わえない豪華さでした。
 
 この波紋が広がるように過去と未来の出来事が互いに響き合う対比構造はわざとらしくならないようにドラマのあちこちに配されており、話が進むにつれそれらが呼応し合い物語に奥行きが生まれます。
 
 清盛が信じたいと願った頼朝に裏切られ庭の木々を切り刻み怒りをぶつけたように、今度は頼朝が信じていた木曽義高に裏切られ激怒し最悪の末路を辿るという裏切りへの憤怒の反響。
 
 常盤ときわが幼き子供たちを守るため憎き仇である平清盛の愛人となることを受け入れる悲壮な覚悟や、徳子のりこが平氏の血を絶やさぬため生涯罪と嘘を背負う静かな決意の重なり。
 
 一族を背負う器など自分にはないと本心では分かっているのに嫡男ゆえにその重責を押しつけられプレッシャーで潰されそうになる平宗盛むねもりの苦悩と、藤原泰衡やすひらの混乱の相似。
 
 そんな数ある対比構造の中でも特に強烈だったのが、本来なら禍根を断つため根絶やしにすべきだった源氏の子孫である頼朝や義経に対し平清盛が与えた慈悲の行く末です。
 
 清盛の慈悲で生かされた二人のうち政治手腕に長けた頼朝は大局的に物を見ようとするばかりに敵にかけられた慈悲の心を必死で忘れようと努め、それに対し義経は父の仇であるはずの清盛の恩情で生き延びた自身の立場に悩み苦しみながらもそれを全て受け入れるといういばらの道を選ぶ様がこの作品で最も印象に残りました。
 
 そもそも、この『義経』という作品を見ている最中に何度も何度も数え切れないほど泣いてしまい、なぜこれほど涙が溢れるのか最初は見当も付きませんでした。しかし理由を考え続けた結果、親の仇である清盛から受けた慈悲の心を生涯忘れず、まるで清盛から受けた恩を返すかのように目の前の人間に慈悲を与えようとする義経の健気な姿に心打たれているからだと合点がいきました。
 
 敵に慈悲を与えたことにより何よりも大切な平氏一族を窮地に陥れた清盛。必死で己の役割を果たさんがため清盛から与えられた慈悲を心の奥底に封じ込め忘れようとする頼朝。そして宿敵清盛から与えられた慈悲の心を受け入れたため兄・頼朝の罪の意識を刺激し拒絶されてしまう義経と、慈悲を巡る三者三様の苦しみは重く、この深い人間模様を成立させた要因は間違いなく源氏と平氏を分け隔て無く血の通った悩み多き人間として描き切った脚本・構成の完成度ゆえだと思います。
 
 この清盛が宿敵源氏に与えた慈悲の心が、このドラマを巡る血液のように循環し、清盛亡き後も、義経の相手を優しく思いやる温情の陰に確かな清盛の気配人が持つ情の温かさを感じさせてくれました。
 
 物語が終わりを迎えた後、義経が目指した新しき国とはどんな国だったのかに思いを馳せると、やはり誰もが他者の心に思いを巡らせ、他人の苦しみを我が苦しみと思える他者への想像力と憐れみに満ちた国だという結論に至ります。
 

歴史上の人物から伝説的存在へ

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 本作のキャスティングは本業の役者ではなくやたらTVタレントが多く文句もありますが概ね満足です。
 
 それは全体的に主要人物同士の会話が言外に含ませたニュアンスを読み取らせる素晴らしい脚本になっており、役者もそれに引っ張られあまり悪い印象を覚える人がいないためです。
 
 役者は褒め出すと切りがなく、平清盛役の渡哲也は一族の長としての貫禄と、頼朝・義経兄弟に慈悲を与える慈しみに満ちた人物像を両方満たし文句なしのキャスティングでした。それ以外も時子役の松坂慶子も、常盤役の稲森いずみも、平氏・源氏の女として慈愛と厳しさを持ち合わせているし、平宗盛むねもり役の鶴見辰吾も憎たらしい仇役と同時に平氏らしい子を想う父の顔を持ち終盤に見え方が劇変し、静御前役の石原さとみは“しずやしず”の舞いで泣かされるしと、主要人物は概ね好印象でした。
 
 特に良かったのは主役のタッキー(滝沢秀明)と武蔵坊弁慶役のマツケン(松平健)です(後、特殊ですが陰陽師である鬼一法眼きいちほうげん役の美輪明宏も雰囲気がバッチリでした)。
 
 武蔵坊弁慶役が、がたいが良くシリアスな演技からコミカルな演技まで幅広くこなせるマツケンというのは見た目から役者の適正までも完璧にハマリ役で、登場した瞬間に即立ち姿に魅了されました。
 

ただ、もっと小道具を軽く出来なかったのかと思うほど薙刀がやたら重そうに見えそこは若干ノイズでした

 
 そして、弁慶役がマツケンで心底良かったと思えたのは47話の義経と弁慶主従の関係に泣かされる歌舞伎の演目勧進帳かんじんちょう』を元とした回です。
 
 そもそも大河ドラマで40話以上も義経と弁慶の主従の絆を描いてきた後に元々泣ける勧進帳を配置するのはハッキリ言って反則技でややずるいとすら思えます。これまで散々弁慶と義経が心の底から互いを信頼し合っている様を描いてきたため、弁慶が自らの心を殺し主である義経をメッタ打ちにし、静御前から貰った大切な笛を踏み潰すという不本意な振る舞いの苦しみが手に取る様に伝わり、この場面は涙が止まりませんでした。
 
 ただ、この場面は勧進帳を読み上げる際にカットを割っており、さすがにここは観客の前でミスが許されない状態で行う舞台を元にしたシーンのためワンカットの長回しで撮らないとダメだろうとは思います。それでも勧進帳を読み上げる松平健の立ち振る舞いは時代劇役者としての確かな貫禄を感じさせ、弁慶役がTVタレントでなく本業の役者で良かったと安堵する場面でした。
 
 このドラマは完全に自分の琴線どストライク過ぎて、ほぼ毎話と言っていいほど泣きましたが大半は脚本の巧みさによるもので、100%役者の演技だけで泣いた箇所はそれほどなく、その中で47話は一位二位を争う泣き所でした。
 

弁慶だけに

 
 そしてタッキー演じる義経は、序盤は明らかに時代劇に慣れておらず演技がたどたどしいことが気になり大丈夫かと不安でした。しかし、あまりにも慈悲深い義経と根が真面目で清らかな雰囲気を纏うタッキーが徐々に重なりだし、いつからか歴史上の人物から神仏のように見えはじめ、最後はタッキーに手を合わせ拝みたくなりました。
 
 時代劇慣れしたマツケンが初登場時から完成された弁慶なのに対し、ひたすら残酷な運命に翻弄されながら自分が何者なのかを模索する義経役としては、最初は不安定でも徐々に義経として成長していくタッキーは役柄と相性が良く非常に好ましく見えます。
 
 この自分が何者なのかを問い続ける義経役のタッキーと、時代劇役者としてすでに完成されたマツケンがその慣れないタッキーを支える絵面というのは文字通り義経と弁慶に見え、義経役と弁慶役がこの二人で本当に良かったと心底思いました。
 

と言うか、あまりにもこのドラマで泣きすぎたため、最終的にどんなに演技が酷くても全員許せる境地に達しました

原作小説との比較

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 詳しい比較は原作小説である『宮尾本 平家物語』のレビューの方で書いているので、こちらでは省略します。
 

 
 この大河ドラマ版は、原作である『宮尾本 平家物語』から平家の設定をほぼそのまま拝借し、原作ではほとんどオマケ扱いである源氏サイドの出来事を大幅に加筆しています。
 
 そのため源氏サイドの話は、義経が清盛を一時父と誤解していたという設定や、ほんの一部の出来事以外はほとんどがドラマオリジナルか、後世の創作を下敷きにしたものです。なので、原作と大河ドラマ版は、平家サイドの話以外はまったくと言っていいほど別物で、共通点はほとんどありません。
 
 しかしこれが不思議で、表面上はどれほど違っても、原作の肝であるその人の胸中を深く察し、人の情を汲み取るという根本の姿勢が同様なので、原作と比べても大河ドラマ版に対する嫌悪は微塵も感じませんでした。
 
 それどころか、原作をそのまま映像化してもインパクトが弱い、シナリオ的に脆弱な箇所は徹底的に補強されています。原作と別物になったのは原作を軽んじているからではなく、原作が『平家物語』という鎌倉時代の軍記物を題材にしているゆえの欠点を補うための戦略的な態度なため、原作と比べるとむしろこの大幅な改変は好ましく思えます。
 

悪夢の最終話

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 この作品最大の汚点は筆舌に尽くし難いほど無残な出来の最終話です。死ぬほど安っぽい演出のせいで今まで積み上げてきたものを全て台無しにして終わるため余韻は最悪でした。
 
 義経一行がこれまで生きてきた証を刻み伝説の存在へ至るという最期の大見せ場なのに、いくらなんでもヘタにも限度があるだろうと思うほど陳腐な映像で「お願いだから作り直してくれ・・・」と願わずにはいられませんでした。
 
 冗談抜きで全49話の中で最終話が映像的に最も酷いため、一体なにしてくれるんだという虚無感に襲われます。それまで毎話のように泣いていたのに、最終話だけ完成度が低すぎて感情が冷め切ってしまい、一粒の涙もこぼれませんでした。
 
 その場所で敵と戦う理由が一切説明されないせいでただの無駄死にしか見えない無意味な剣戟や、敵と戦っている最中なのに味方同士悠長なやり取りをする緊張感を削ぐ最低な会話シーン、ギャグなのかと思うほどセンスが欠如した大切な仲間が散っていく陳腐な光景と、その暗澹あんたんたる様に絶句しました。
 

最終話はあまりにも役者が可哀想でした。演出が酷いだけで役者に罪はありません

 
 それまでは人物の死に際は抑制を効かせた見せ方だったのに、最終話だけ感動させようとりきみすぎた結果やる気が空回りし見るも無惨な出来となり、悲劇的なストーリーとは別の意味で目を背けたくなりました。
 

最後に

 
 見終わった直後は最終話の記憶だけ未来永劫消え去って欲しいと願うばかりで気分が軽く鬱になりしばらく落ち込みましたが、逆に言うとそれ以外はこれと言って不満はありませんでした。
 
 史実よりも後世に作られた創作のほうを大事にし、徐々に歴史ものから逸脱し神話・伝説化していく倒錯感は自分の好みど真ん中の作風です。
 
 栄えたものが滅ぶ様に美を感じ、理不尽な運命に苦しみそれに抗う者から勇気を貰い、永遠に答えの出ない問いを残す重い余韻の物語が何よりも好みなので、それら全てを満たす本作は自分にとって理想のような作品で、これまで見た大河ドラマの中では最も好きです
 

原作

 

 

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