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【小説】現代に蘇る昭和の妓楼文化 『陽暉楼(ようきろう)』 著者:宮尾登美子 〈書評・レビュー・感想〉

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評価:95/100
作品情報
著者 宮尾登美子
出版日 1976年

小説の概要

 
 この作品は、昭和初期の土佐(高知)の高級料亭陽暉楼ようきろう”を舞台に、料亭で舞妓まいこ(芸妓)として働く房子(源氏名は桃若)の幸薄さちうすい生涯を描いた純文学です。
 
 女性の苦難を描くことをライフワークとした宮尾登美子作品の中でも凄惨さは他の作品から頭一つ飛び抜けており、親に生活費のため売られ、客の子を妊娠しても店からも客からもお荷物として邪魔者扱いされ、病気になっても死ぬまで働かされる奴隷のような日々を当事者の舞妓視点で追う、残酷で救いのない物語です。
 
 ただのフィクションではなく、小説に登場する“陽暉楼”という料亭も、主人公の“桃若”という舞妓もかつて高知に実在しており、すでに滅びた妓楼ぎろう文化を現在に伝えるために執筆された作品でもあります。
 
 リアリティにこだわり抜く宮尾登美子小説らしく、その時代その場所で裏の裏まで観察してきたかのように陽暉楼という料亭が細部まで徹底して描き抜かれ、この昭和初期の高級料亭の雰囲気を堪能するだけでも読む価値があると断言できるほどです。
 
 しかし、物語としてはデビュー作の『櫂』と非常に似た構造となっており、『櫂』を読んでいる場合はどうしても、ややスケールダウンした『櫂』という印象も抱きます。
 
 それに、宮尾登美子作品にしてはボリュームが控え目で、舞妓の一生をたっぷりと描くにはページ数が不足しており、『櫂』に比べ駆け足のダイジェストっぽさが目立ち、そこは非常に残念でした。
 

出来れば、これの二倍はページ数が欲しかったです

 
 それでもあらゆる欠点を凌駕するほど陽暉楼の実在感は素晴らしく、そこで働く人々含め昭和初期の高知の妓楼とはこのような生活臭を放つ場所なのだと知ることが出来る大傑作でした。
 

物語へと導く完璧なる冒頭

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 まずこの小説で最初にガツンとやられるのは、『櫂』に引き続き完璧なまでの導入部の美しさです。
 
 舞妓である主人公が夢うつつにまどろむ中、雨の日の座敷で聴く三味線しゃみせんの調子が変わるような音をかすかに耳が捉え、無意識に体に染み込んだ舞いの動きを思い出すも、それは三味線ではなく船がを漕ぐ音だったと気付き目覚めるという、舞妓の職業病をこれほどまでにはかなく描写する才に感服します。
 
 雨の日の座敷に響く湿った三味線の音と、川を櫓船が進む音を聞き間違えるという短い導入部だけで、この主人公がどれほど舞妓としての生活が体の芯の芯まで刻まれ、堅気かたぎの者とは異なる音の世界の住人であるのか納得させる力があり、即物語に引き込まれました。
 
 これは作者のデビュー作である『櫂』も同様で、主人公の何気ない日常の一コマを切り取り、そこからするりと物語の中に読者を滑り込ませてしまう手腕は超一流で、これぞ本物の文学に触れる喜びだと思います。
 

導入部で文章の美しさに鳥肌が立つ宮尾登美子小説は大体が傑作です

昭和初期の高級料亭に出会う感動

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 本作の白眉はくびは、やはり“陽暉楼”という、昭和初期、実際に高知に存在した料亭を現代に蘇らせた脅威のリアリティです。
 
 『櫂』の大正・昭和の暮らし向きのディテールも怪物級でしたが、こちらも負けず劣らずの出来映えで、小説を読んでいる間これが作り物であると疑いを抱くことは一瞬たりともありませんでした。
 
 毎度毎度、宮尾登美子作品は情報量が尋常ではなく、小説のリアリティが限界を超え、自分が“陽暉楼”という料亭で働く舞妓の目と体を獲得した気分で、主人公の身に起こる不幸が全て自分にも降りかかってくるような張りつめた緊張感があります。
 
 主要登場人物も一人残らず曲者くせもの揃いで、主人公の姉芸妓である優しいが臆病でここぞという時には逃げ腰な鶴之助、誰にでも気さくなように見え計算高く狡猾なライバルの舞妓・胡遊、芸に厳しく房子の才能をいち早く見抜くも守銭奴で芸妓を金づるとしか思わないかかさんと、まぁ見事なまでに全員途中から表の顔が剥がれ落ちドロドロな本性が露わとなるため、退屈な人物は一人もいません
 
 この主人公と親しい人間が次から次に本性を露わにする駆け引きが非常に巧みで、後々思い返すと確かに親切に見えつつどこか引っかかる言動があるなど、巧妙に言葉の端々に忍んでいた不審に気付かされ、してやられたと思うことが幾度もありました。
 
 一見主人公に友好的に見える得意客も、客とのパイプ役となる仲居も、本来なら仲間であるはずの芸妓たちも、とにかく誰も信用ならず、油断すると手の平を返し寝首を掻きにくるため、人を疑うということを知らない主人公の振る舞いにヤキモキするばかりでした。
 
 この陽暉楼という料亭の日常業務と、そこで働く者たちに確かな実在感が備わっているおかげで、何気ない芸妓同士の会話にすら緊張感が漂い、これが作り物であるなど疑う余地がありません。
 

リアリティが浮き彫りにする陽暉楼の軍隊っぽさ

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 この小説を読んでいると“陽暉楼”の組織構造が何かに似ているなと思い、それは軍隊なのだと気付きました。
 
 それぞれ芸妓を抱える子方こかた屋は小隊や分隊でそれを束ねる指揮官がおり、上の命令には絶対服従。芸妓の年季は軍人の兵役のようなもので、しかも兵役を終えて故郷に帰っても人の殺し方しか知らない上にPTSDに悩まされ社会復帰もままならない軍人同様、芸妓も年季が明けて自由になっても座敷で客相手に披露する芸以外はてんで知らないまま放り出されると、軍隊が抱える問題と芸妓の抱える問題がそっくりです。
 
 男心をくすぐるようなカッコ良い銃や兵器、愛国心というエサで志願兵を釣るように、上等な着物やアクセサリー、唄や踊りといった華々しい芸能、親孝行という美徳で少女をたぶらかす構造も似ています。
 
 借金を返し終わり年季が明ける芸妓とは、アフガニスタンなど、テロリストの巣窟である中東に派遣された志願兵が任期を終えて帰還兵として故郷に帰るような心地なのかなと、どうしても終始芸妓と軍人のイメージが重なって見えました。
 

そう考えると誰よりも芸に没頭し、自身の芸の腕だけが誇りである主人公の姿が痛ましく見えます

 
 この小説を読むと、長期間に渡って日常からかけ離れたような職業に就く人には、心のケアが絶対に必要であることが分かります。
 

『櫂』との類似性

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 この『陽暉楼』という小説で気になるのは、やっていることがほとんど『櫂』の焼き直しという問題です。
 
 主人公の周りの人間が徐々に本性を露わにし苦境に立たされるという展開や、ずっと愛し愛されていると信じていた異性から残酷な仕打ちを受け心がズタズタに引き裂かれるも、最後は男に束縛されない幾ばくかの心の自由を勝ち取るというフェミニズム的なテーマ性。途中で主人公が病魔に冒され生死を彷徨うことや、我が子の存在が心の支えになるという設定など、どれもこれも『櫂』と似偏っており、イマイチ新鮮さがありませんでした。
 
 しかも『櫂』のほうが小説としての完成度が圧倒的に高い上にボリュームも多いため、どうしてもコチラのほうが分が悪く見えます。
 
 この『櫂』で起こった出来事が繰り返されるような既視感が本作で最も惜しいと感じた部分でした。
 

最後に

 
 『櫂』を先に読んでいる場合、どこかで見たような展開が連続するという多少の不満は持つものの、これまで読んだ宮尾登美子作品の中でも上位の面白さで、終盤はあまりの惨い展開に読書を中断できないほどのめりこみ、ほとんど一気読みしてしまいました。
 
 もう現代には存在しない陽暉楼という高級料亭や、そこで働いていた人々の息遣いや匂い、音まで活字で蘇らせてしまう手腕は見事としか言い様がなく、紛う方なし大傑作でした。
 
 

 

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