トレーラー
評価:85/100
公開日(日本) | 1985年6月22日 |
上映時間 | 113分 |
映画の概要
この作品は、殺人を目撃したアーミッシュ(非暴力主義のキリスト教集団)の親子を犯人から護衛するため、刑事がアーミッシュのコミュニティで共同生活を営み、アーミッシュについて理解を深めていくサスペンス映画です。
途中から視点となる人物が唐突に交代してしまうという脚本上の問題はあるものの、『マスター・アンド・コマンダー』など、優れた映画を監督したピーター・ウィアーの本領が発揮され、ストーリー・映像・音楽と、どこを取っても一級の傑作でした。
あらすじ
親戚の家を訪ねるため慣れない都会へ出てきたアーミッシュ(ドイツ系の厳格な非暴力主義のキリスト教集団)の母子。
しかし、子供のサミュエルが偶然駅のトイレで警官が命を奪われる殺人事件を目撃してしまったため、捜査に協力させられることに。
刑事であるジョン・ブックはサミュエルの証言で犯人を特定するも、犯人に襲撃され重傷を負う。
ジョンは目撃者を消そうとする犯人からサミュエルを守るため、母子と共にアーミッシュの暮らすコミュニティに潜伏することとなり、ジョンとアーミッシュ達との奇妙な共同生活が幕を開ける。
抑制が効いた品の良さ
ピーター・ウィアー監督は堅実な映画を撮る職人気質な監督で、それは本作も同様でした。
会話の際にやたら顔のアップが続き窮屈に感じ出した頃、映画的で強度の高い引きの画を挟むことで緩急をつけるなど、数々の技量が光ります。
ただ冒頭に、見事なサスペンス的な見せ場があるせいで、その後もサスペンスを見るつもりで構えていると、中盤はあまり緊迫感のあるような場面がなく少々肩透かしでした。
それに、映画の冒頭が少年サミュエルの視点なのに、途中でサミュエルの役割が終わってしまい、母親のレイチェルを巡る恋の鞘 当てになるため、「サミュエルはどこに行った?」という疑問が終始頭から離れません。
恋愛にウェイトを置くのなら冒頭から母親のレイチェルのほうを印象づけないと視点がころころ移って混乱します。
異文化交流サスペンス
ジョン・ブックが生活を共にすることとなるアーミッシュのコミュニティは、絵的な風景も生活描写もしっかりと異文化に見える見事な作りでした。
映画冒頭ではアーミッシュを好奇な目で見る通行人と同じような目線で異様な集団程度にしか見えていなかったものが、終盤では血の通った人達と認識できるようになり見え方が大幅に変化しました。
ピーター・ウィアー監督の抑制の効いた演出と禁欲的なアーミッシュの生活の相性も良く相乗効果が生まれているのも作品にプラスに働いていると思います。
それと、驚かされたのは牧歌的な風景とシンセサイザーのBGMが抜群に合っていることです。厳格なルールで生きるアーミッシュの規則的な生活習慣と、一定の規則正しいリズムを刻み続ける電子音楽は相性が良いのか意外でした。
ラストのアクションも、ラップ家との生活の中で学んだ知識で都会の人間を撃退するという展開が取り入れられており、これだけでもジョンがアーミッシュに馴染んでいるということが伝わる見事な脚本でした。
最後に
全編隙のない映画的なムードに包まれ、非常に幸福な映画体験を味わえる良作サスペンス映画です。
ただ、これはどうでもいいことですが、序盤に都会の景色をやたらローアングルで撮ることが多く、これはアーミッシュの子供から見た都会の文明の異質さを極端な目線の高さで表現しているのかと思っていたら、アーミッシュのコミュニティに戻っても大して変わらないため単に癖なのかと多少ガッカリしました。
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