著者 | 乾緑郎 |
出版日 | 2019年7月11日 |
評価 | 80/100 |
オススメ度 | ☆ |
ページ数 | 約289ページ |
小説の概要
この小説は、ダムの底に沈んだ町、“小楷 町”に存在した、未来を予知する力を持った謎の生き神“ツキネノ”の秘密に迫るサスペンス小説です。
小説の重要なモチーフは、“記憶の画家”として有名なフランコ・マニャーニが、ナチス・ドイツに滅ぼされすでにこの世に存在しないイタリアの故郷ポンティトを記憶のみを頼りに描いたという実話です。
この実話を下敷きに、幼少期の記憶だけでダムに沈んだ町の風景画を描く画家や、風景画の中を動き回る謎の少女ツキノネを追うことで、小楷 町にかつて存在した奇っ怪な土着信仰が明らかになっていくというストーリーです。
心地良い謎が幾重にも重なり読者を翻弄してくる序盤は乾緑郎作品の中でも突出した面白さで、読み始めると止まらない中毒性があります。
しかし、謎の少女ツキノネはじめ、ダムに沈んだ小楷 町の歴史や風土に関するディテールがあまりに弱々しく、後半に行くにつれスケール観が萎 んでいく尻すぼみな展開で余韻はイマイチです。
サスペンス小説としてスタートは満点
この小説の最も優れた箇所は、サスペンス小説として完璧といっていいほど、物語の序盤に強力な吸引力があることです。
ダムの底に沈んだ故郷“小楷 町”の記憶がある時から鮮明に浮かび、取り憑かれたように風景画を描き続けるだけの孤独な人生を送る画家。
孤独の画家が描き上げた風景画で暮らすように絵の中で動く姿が目撃される謎の少女。そして、絵の中で目撃される人物と瓜二つの少女が、未来を正確に予言するという謎の動画配信チャンネル“ツキノネちゃんねる”の存在。
最後に、ダムに沈んだ町の歴史を調べる過程で浮かび上がる、かつて存在した土着信仰の中心的存在であり未来を言い当てたとされる謎の生き神“ツキノネ”といった不気味な設定が互いに呼応し合いながら謎が謎を呼ぶ展開が続き、読み始めるとページをめくる手が止まらなくなります。
冒頭の派手な展開以降は、設定だけが互いに反響し合い、何かが起こりそうなのに何も起きない焦らすような時が続き、ここはホラー小説風の上品な佇まいで、この小説で最も幸福な時間でした。
それに、作者である乾緑郎さんの得意とする登場人物の愛すべき不器用さを描写する手腕や、物語の鍵となる児童養護施設の職員や施設の児童の説得力相まって登場人物に親近感も湧くため、序盤は退屈な瞬間がまったくありません。
人ならざる少女に少年が心惹かれるという設定はスウェーデンの小説を原作とした映画『ぼくのエリ 200歳の少女』のようでもあり、謎の少女が徐々に本性を露わにし子供であることを利用し大人の社会的信用を破壊しようとする展開は映画『エスター』のようでもあり、そこに横溝正史作品のような土着性を売りにする民俗学的なミステリー要素も機能し、序盤は作者の語りのバランス感覚にただただ酔うばかりでした。
ただ、惜しいのはこの中毒性が中盤でパッタリと止まってしまうことです。
徐々に設定のメッキが剥がれ出す中盤以降
この作品の最大の弱点は、中盤以降に徐々に設定の作りの甘さが露呈し、話が失速し出す点です。これは中盤まで熱中して読み進めてしまう圧巻の面白さのため、読んでいて本当に惜しいと思いました。
作者の乾緑郎さんの長所でもあり短所でもある、極力無駄を省き話をスピーディに語るという作風が、本作の民俗学的ミステリー要素と絶望的なほど相性が悪く、後半は設定がペラペラで説得力が皆無になります。
この部分をきちんと成立させるならページ数がまったく足りていません。最低でも後1.5倍か2倍はボリュームがないと、小楷 町という町が本当に日本のどこかに実在し、そこで人々の生活が営まれ、未知の土着信仰が息づいていたという設定になんら説得力が生じません。
“ツキノネちゃんねる”という動画チャンネルで、少女ツキノネが色々な予言をしていたと言っても、具体的にどのような予言をしてそれがどの程度的中し、それを見ていた視聴者がどう受け止めていたのかという描写がないのもさすがに手抜きにしか見えず、ここも不満でした。
それに、作者の毎度の悪い癖である、事件の核心となる重要な情報をかなり手前の段階で読者にフライングして漏らしてしまう問題も深刻でした。そのせいで、登場人物たちがコチラのすでに知っている情報に辿り着くまでのパートがやたら冗長に感じ、しかもそれが後々伏線として回収もされないという工夫の無さは問題だと思います。
さらに今回は、登場人物たちの動機付けも極めて曖昧です。結局この人たちはなぜツキノネの謎を追い求めるのか、終盤になってふと疑問に思うくらい目的が不明瞭かもしくは貧弱で、終盤になるにつれ徐々に熱が冷め、白けていきます。
説明量を増やし世界観の強度を上げることでダムに沈んだ町が抱えていた闇の歴史の説得力を上げるか、もしくは『リング』(映画版では無く原作小説)のように呪いのビデオのタイムリミットを設定し、自発的ではなく強制的に目的のために動き続けなければならないノンストップスリラーにしてしまうなどの工夫がないと、現状はどっちつかずの中途半端さで、読み終えた途端に作品への興味が霧散してしまう薄味のストーリーになっています。
最後に
サスペンス小説としては先が気になる中毒性があり、しかも冒頭とラストの展開がループ構造なのも気が効いており、決してダメな作品ではありません。しかし、ツキノネの秘密に特に教訓もメッセージ性も衝撃もなく、読み終わると結局この話はなんだったんだという虚しさが残ります。
素材(アイデア)は良かったのに調理に失敗してしまい、終盤に一つの一つの設定の弱さが響いて足下がガタガタになってしまう惜しい作品でした。
ボリューム不足が悔やまれます
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