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【アメリカ映画】魔法の王国へのチケットが買えない子供たち |『フロリダ・プロジェクト -真夏の魔法-』| レビュー 感想 評価

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トレーラー

評価:95/100
作品情報
公開日(日本) 2018年5月12日
上映時間 115分

映画の概要

 
この作品は、アメリカのフロリダ州にあるウォルト・ディズニー・ワールド・リゾートのすぐ近くの安モーテルを舞台とし、モーテルで暮らす貧しい子供たちの日常風景からアメリカの住宅・貧困問題を浮き彫りにしていくという社会派の映画です。
 
アパートやプロジェクト(公営住宅)にすら入居できず、モーテル住まいを余儀なくされる貧しい人々を演じる役者の演技が見事で、実際にそこで生活しているようにしか見えないほど立ち振る舞いが自然でした。
 
マジック・キャッスルという名前のモーテルで暮らしながら近くのディズニー・ワールド・リゾートへはとても行けないような経済状態に置かれる子供たちの境遇や、見る者に強烈なメッセージを叩き付けるラストシーンなど、貧困層の窮状を訴える社会派映画としてはこの上ない傑作です。
 

ディズニー・ワールドのお膝元で貧困にあえぐ子供たち

 
まずこの映画を見て真っ先に衝撃を受けるのが、犯罪歴があったり、定職に就いていなかったりという理由でアパートやプロジェクト(公営住宅)にすら入居できない最底辺の貧しい人々が、本来はディズニー・ワールドへ訪れる観光客用の安モーテルに住み着いて生活しているというアメリカの知られざる実態です。
 
貧困にあえぐ子供たちが暮らすモーテルの名前がマジック・キャッスルで、ディズニーのテーマパークに似ていることが皮肉にしか見えず、これほど舞台設定が完璧な映画はそうそうないと思うほどです。
 
画面に登場する建物は、モーテルや土産物屋はじめディズニー・ワールドの近所ということもあり全体的にメルヘンチックでカラフルなデザインのものが多数を占めるのに、そこで暮らす人々は元犯罪者やその日食べるのすらやっとでろくにモーテルの宿泊代も払えない低所得者、まともに学校に通っているのかすら怪しいしつけもされていない子供たちと、これが現実なのかと思うくらい悪夢的なギャップで、よくこんなロケーションを見つけたなと驚かされます。
 
特に明るい色で統一されるモーテルの見た目と、そこに暮らす全身タトゥーのどんな仕事をしているのか想像すら出来ない人たちのコントラストが凄まじく、最初は自分が見ている光景が実際のアメリカなのだと信じられませんでした。
 
このモーテルの不自然なまでのカラフルさは、アメリカの暗部を隠すための虚飾きょしょくの変形にも見えるし、そこで暮らす人たちがどれだけ貧しくても心は明るく生きようという、なけなしの矜持きょうじにも見えます。
 
まさにディズニーに象徴される光と、その光から洩れてしまう暗黒の部分というアメリカの二面性をカラフルなモーテルに象徴させて描くというコンセプトが斬新すぎて、ビジュアル一発でこの映画に魅了されました。
 
見た目はカラフルで可愛いのに、中は貧困の坩堝るつぼというどぎつい対比はじめ、映画のあらゆる要素が互いに反響し合い、何気ない会話や風景の1ショットからも犯罪や貧困の匂いが嗅ぎ取れるようで、見ていてどう受け止めていいのか迷い続けます。
 
貧困を描くといっても『ダンサー・イン・ザ・ダーク』のようなシュールレアリスム寄りの空想に現実逃避しながら生きる個人を見るようなものではなく、アメリカの問題を理路整然と見る者に突きつけ考えさせるような一歩引いた理詰めの作りをしており、そこも社会派映画としてはずば抜けたバランス感覚だなと思います。 
 

そこで日常を営む人々にしか見えない脅威の演技力

 
主人公であるムーニーを演じる子役のブルックリン・プリンスはじめ、どう見ても他人の忠告を黙って聞くような玉ではないひねくれた母親役のブリア・ヴィネイトや、この映画を見たらその優しさから絶対に好感を持ってしまうモーテルの支配人であるウィレム・デフォーと、役者の演技は文句ありませんでした。
 
特に中盤以降は子役のブルックリン・プリンスの演技力が突出しており、序盤はただの悪ガキくらいにしか見えなかったのが嘘のように印象が激変します。
 
この子は自分の母親が売春をしていることをなんとなく理解し、詐欺を働き、挙げ句は客の持ち物を盗むなど窃盗を働いていることも頭のどこかで分かっているのにあえて何も知らない無知な子供の振りをしているようにも見え、この年齢でどれだけの境地に達しているのかと度肝を抜かれました。
 
映画の終盤、今度は周囲から孤立し母親が精神的に余裕を失うと、それまでの無邪気さが鳴りを潜め、不安からカラ元気に振る舞っているようにも見え、演技の引き出しの多さにただただ圧倒されます。
 
子供なりの親への気の使い方をさり気ない動作だけで表現仕切るという並外れた演技力は周りの大人たちを完全に上回り、この映画で最も印象的でした。
 
この映画はセリフでの説明が少なく、画面に映る情報、編集による場面の繋ぎ方で物語を語るため、数秒でも画面から目を離し、登場人物の演技や画面に映っている物や事件を見逃しただけで次のシーンの意味が分からなくなります(さっきまで家賃が払えなかったのにムーニーがお風呂に入っているシーンの後に突然家賃を払うシーンが来るとか、ムーニーの家から誰かが出てくるのを目撃したボビーがアシュリーにお金を貸したか尋ねる、など)。
 
そんなムダな説明を省く演出密度の濃い映画において、わずか6、7歳の子役であるブルックリン・プリンスの演技はどうしてこの場でこのような振る舞いをするのか意図がきちんと読み取れ、逆にその完璧なまでの振る舞いがこの子が置かれる年相応でいることが許されない環境の異常さを際立たせもし、演技力で貧困を語るという困難な挑戦に成功していると思います。
 

最後に

 
貧しさに負けず逞しく生きようとする母子の姿を描くヒューマンドラマとしての面白さと、カラフルなモーテルという一見楽し気な雰囲気の舞台からアメリカが抱える住宅問題や貧困問題をえぐり出し鋭いメスを入れる社会派映画としてのメッセージ性を両立させた奇跡のような完成度で、その美しさは映画フォーマットの一つのお手本にすら見えます。
 
ラストのモーテルとマジックキングダムを繋げるシーンは、この二つの現実は遠く離れた別々の場所にあるのではなく子供の足で容易く移動できる距離にある、ごくごく身近な問題であると念を押すようで自分の身の回りの出来事に置き換え色々考えさせられました。
 
単純な映像作品としての完成度の高さに加え、ディズニー・ワールドの近くのモーテルを舞台にし両者を対比させるというセンス抜群のアイデア、登場人物に生活感を与える役者の自然な演技、社会派映画として押しつけるのではなく見る者に意味を読み取らせる完璧なメッセージの込め方と、映画史に残ってもいいほどの大傑作中の大傑作でした。
 
 

 

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