著者 | 貴志祐介 |
出版日 | 1999年4月 |
評価 | 80/100 |
オススメ度 | ☆ |
ページ数 | 約393ページ |
小説の概要
この作品は、会社が倒産し家族にも逃げられた40歳無職の男が深紅色 の峡谷が広がる未知の場所で目覚め、自分たちを監視している謎の存在に命令されるまま、他の参加者 と命を賭けたゲームを行っていくというサスペンス小説です。
参加者同士が生き残りを賭け戦うデスゲームものとしては、徐々に追い詰められていくサスペンス展開が面白く、一気読みしてしまう中毒性です。
しかし貴志祐介作品としては肝心のメッセージ性が希薄で、デスゲームが本当にただのデスゲームでしかなく、読んでいる最中は楽しくても読後の余韻はあっさりし、物足りなさも感じます。
作家性が濃厚という新鮮な感触のデスゲーム
本作は、厳しい大自然の中を空腹と喉の渇きに耐えサバイバルしていく冒険要素と、架空のゲームブックの内容になぞらえた参加者同士が生き残りを賭けて殺し合うデスゲーム要素が合わさり、貴志祐介作品のなかでもトップクラスの中毒性があります。
意外だったのはデスゲームものというジャンルはかなり作家性が濃厚に滲み出ることです。元々サスペンス好きなのでデスゲームものも好んで見ますが、貴志祐介さんがやると貴志祐介色が濃厚な一風変わったデスゲームとなり、このジャンルの見え方が少し変わりました。
デスゲームという刺激頼みのジャンルはどちらかというとベテランのクリエーターよりかはキャリアが浅い新人がやるものというイメージがありましたが、ある程度人生経験が豊富な人や、作家性に特徴がある人のほうがその人の人生観や長い人生で味わった苦労、小説を書く際の特殊な癖が滲み出るため、安易に過激さに走るものより深みが出るなと気付かされます。
普通のデスゲームものなら寓話要素を多く入れるとか、極限状態に置かれた人間の欲望や本性、暴力性が露わになり、裏切ったり騙したりといった過激さを売りにするのに、貴志祐介さんが書くとそこはわりとあっさり気味で、むしろ作中で繰り広げられるゲームのモチーフである“火星の迷宮”という架空のゲームブックの内容に凝るなど、力を入れる部分がギミック寄りで新鮮でした。
貴志祐介さんは根がSFの人なためか、作品のリアリティの出し方が環境や生態系、テクノロジーなど外縁 から詰めていくタイプなので、軸が人間関係に置かれないというのもこの手のジャンルにしては珍しく感じます。
そのため、現代においてはありがちなジャンルながらほぼ古さも感じず楽しく読めました。
これを読むと色々な作家が描く、その人の趣味が濃密なデスゲーム小説を読んでみたいなという願望が生まれます。
どこか違和感のあるデスゲームの真相
本作の生き残りを賭けたゲームは中毒性があり先が気になり一気読みしてしまうほど面白いですが、それと同時に読んでいる最中軽い違和感もありました。
それは、サバイバル部分に説得力を出すためだけにしてはやや過剰である、食べることが可能な植物の細かい説明や、野生の動物を罠で捕らえ調理するテクニック、ゲームが行われる場所についての自然環境の解説量です。
これらはゲームそのものとはあまり関係なく、しかも読み終わって見ても別段伏線なわけでもないと、読んでいる最中はなぜこうまで分量を割くのか謎でした。
しかし、作者が自作について触れる『エンタテインメントの作り方』という本を読むと、この小説は現在の命を賭けたゲームという設定になる前は旅客機が墜落するシーンから始まると書かれており、それで違和感の正体がなんとなく判明しました。
多分、最初は旅客機の墜落から生き延びた生存者たちが過酷な自然環境の中をサバイバルしながら、徐々に疑心暗鬼や精神が錯乱して殺し合いが始まるといったような内容だったのが、現在のデスゲームものになったため、最初のプロットのサバイバル要素だけが不自然に残ってしまったのだと思います。
そう考えると、サバイバル術や生態系の細やかな解説などに比べると規模も背景もよく分からない組織が主催しているというゲーム部分は後付けで作られたような中身の無いずさんさで、主人公たちが獲物として追い詰められていく過程もあっさりし過ぎと、あまりやる気を感じません。
これは、後の『雀蜂(スズメバチ)』と同様で、途中まで書いてプロットが気に入らないため変更したのに全ていちから作り直すわけではなく、途中まで書いた部分はある程度使い回し、外側の設定だけガラッと変え微調整をして済ませるという処理から生じた問題だと思います。
プロットを途中でガラリと変えた影響か『天使の囀り』のような全てがビシッと完璧にまとまるような傑作に比べ緩さも感じてしまいました。
メッセージ性はどこに消えた
デスゲームものとしてバランスがイマイチということ以上に本作で一番ガッカリさせられたのはメッセージ性の乏しさです。
貴志祐介作品と言ったら現代社会に潜む問題に光を当てつつ読者に問いを投げかけるメッセージ性が売りだと思っていたので、デスゲーム要素が本当にただの過酷な環境を生き抜くことで一回り人間的に成長するという通過儀礼くらいの意味合いしかないことに物足りなさを覚えました。
意図が不明な謎のゲームにどのような思惑があるのかというミステリー的なオチの部分もひねりがなく、読んでいる時は多少の粗があっても先が気になり続けるのに、読み終わると途端に小説そのものへの興味が失せてしまうという困った読後感です。
最後に
命を賭けた危険なゲームを描くエンタメ小説としては文句なしの面白さでした。
ただ、貴志祐介作品として見るとメッセージ性が極めて薄く食い足りない印象を持ちます。
それでも、デスゲームものにしてはファムファタールが登場するノワール映画のような切ない読後感もあり、似たジャンルの作品群に比べたら数段上の完成度なため読んだら絶対に楽しめる一作です。
リンク
リンク