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中毒性は抜群、メッセージ性は希薄なスリル特化型のサバイバルデスゲーム 「クリムゾンの迷宮」 著者:貴志祐介 〈レビュー・感想〉

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評価:80/100
作品情報
著者 貴志祐介
発売日 1999年4月

短評

 
 特殊な環境下で参加者同士が生き残りを賭けぶつかり合うデスゲームものとしては中毒性が非常に強く、一気読みしてしまうほどハマる。
 
 しかし、貴志祐介作品としてはメッセージ性が希薄で、デスゲームが本当にただのデスゲームでしかなく、読んでいる最中は楽しくても読後の余韻はあっさりしており、やや物足りなさも感じてしまう。
 

作家性が濃厚という新鮮な感触のデスゲーム

 
 この小説は、会社が倒産し家族にも逃げられた40歳無職の男が目覚めると、そこは深紅色クリムゾンの峡谷が広がる未知の場所で、自分たちを監視している謎の存在に命令されるまま、他の参加者プレイヤーと命を賭けたゲームを行っていくというストーリーです。
 
 やや古い小説ながら、人間が生存するには厳しい大自然の中を空腹と喉の渇きに耐えサバイバルしていく冒険要素と、参加者同士が生き残りを賭けて殺し合う架空のゲームブックの内容になぞらえたデスゲーム要素が合わさり、無類の中毒性があります。
 
 それに、本作を読んでいて意外だったのはデスゲームものというジャンルは作家性が濃厚に滲み出るということです。元々サスペンス好きなのでデスゲームものも好んで見るものの、貴志祐介さんがやると貴志祐介色が濃厚な一風変わったデスゲームになるため、このジャンルに対して認識がやや変わりました。
 
 デスゲームという刺激頼みのジャンルはどちらかというとベテランのクリエーターよりかはキャリアが浅い新人がやるものというイメージがありましたが、ある程度人生経験が豊富な人や、作家性に特徴がある人がやるほうが、その人の人生観や長い人生で味わった苦労、小説を書く際の特殊な癖が滲み出るため、安易に過激さに走る内容よりも面白いなと気付かされます。
 
 貴志祐介さんは根がSFの人なためか、作品のリアリティの出し方が環境や生態系、テクノロジーなど外縁から詰めていくタイプで、軸が人間関係に置かれないというのもこの手のジャンルにしては珍しく、現代においてはありがちなジャンルながらほぼ古さも感じず楽しく読めました。
 
 普通のデスゲームものなら寓話要素を多く入れるとか、極限状態に置かれた人間の欲望や本性、暴力性が露わになり、裏切ったり騙したりといった人間同士の醜い争いこそを描きたがるのに、貴志祐介さんが書くとそこはわりとどうでもよく、このゲームの設定元であるかつて出版された火星の迷宮という架空のゲームブックの内容に凝るなど、力を入れる部分がギミック寄りで、これを読むと色々な作家が描く、その人の趣味が濃密なデスゲーム小説を読んでみたいなという気分にさせられます。
 

どこか違和感のあるデスゲームの真相

 
 本作の生き残りを賭け、知識やゲーム中に入手したアイテムを駆使して参加者同士、互いを出し抜き合うという展開は充分惹きつけられるのに、読んでいる最中同時に違和感もありました。
 
 それは、サバイバル部分に説得力を出すためだけにしてはやや過剰である、食べることが可能な植物の細かい説明や、野生の動物を罠で捕らえ調理するテクニック、ゲームが行われる場所についての自然環境の解説などです。
 
 これらは、ゲームそのものとはあまり関係なく、しかも読み終わって見ても別段伏線なわけでもないと、読んでいる最中はなぜこうまで分量を割くのか謎でした。
 
 しかし、作者が自作について触れる『エンタテインメントの作り方』という本を読むと、このクリムゾンの迷宮という小説は、現在の命を賭けたゲームという設定になる前は旅客機が墜落するシーンから始まると書かれており、それで違和感の正体がなんとなく判明しました。
 

 
 多分、最初は旅客機の墜落事故から生き延びた生存者たちが過酷な自然環境の中をサバイバルしながら、徐々に疑心暗鬼や精神が錯乱して殺し合いが始まるといったような内容だったのが、現在のデスゲームものになったため、最初のプロットのサバイバル要素だけが不自然に残ってしまったのだと思います。
 
 そう考えると、サバイバル術や生態系の細やかな解説などに比べると規模も背景もよく分からない組織が主催しているというゲーム部分は後付けで作られたような中身の無いずさんさで、主人公たちが獲物として追い詰められていく過程もあっさりし過ぎと、あまりやる気を感じません。
 
 これは、後の『雀蜂(スズメバチ)』という小説も似ており、途中まで書いてプロットが気に入らないため変更したのに全ていちから作り直すわけではなく、途中まで書いた部分はある程度使い回し外側の設定だけガラッと変え微調整をして済ませるということをしているのか、プロット変更前の要素と変えた後の要素がうまく噛み合っていません。
 

 
 プロットを途中でガラリと変えた影響か、全体的に一応はミステリー要素のようなものもありますが、あまりそれらがキレイに回収されず、『天使の囀り』のような全てがビシッと完璧にまとまるような傑作に比べ、作り込みの甘さを感じてしまいます。
 

メッセージ性はどこに消えた

 
 デスゲームものとしてバランスがイマイチということ以上に本作で一番ガッカリさせられたのは、メッセージ性の乏しさです。
 
 貴志祐介作品と言ったら現代社会に潜む問題に光を当てつつ読者に問いを投げかけるメッセージ性が売りだと思っていたので、デスゲーム要素が本当にただの過酷な環境を生き抜くことで一回り人間的に成長するという通過儀礼くらいの意味合いしかないことに物足りなさを覚えます。
 
 意図が不明な謎のゲームにどのような意味があるのかというミステリー的なオチの部分もひねりがなく、読んでいる時は多少の粗があっても先が気になり続けるのに、読み終わると途端に小説そのものへの興味が失せてしまうという困った読後感でした。
 

最後に

 
 命を賭けた危険なゲームを描くエンタメ小説としては、肉付けがやや甘いもののそれでも文句なしの面白さです。ただ、貴志祐介作品として見るとメッセージ性が極めて薄く食い足りない印象です。
 
 それでも、デスゲームものにしてはファムファタールが登場するノワール作品のような切ない読後感もあり、似たジャンルの作品群に比べたら数段上の完成度で、読んだら絶対に楽しめる一作です。