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【歴史小説】大奥の嫁姑バトル 『天璋院篤姫(てんしょういんあつひめ)』 著者:宮尾登美子 〈書評・レビュー・感想〉

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評価:90/100
作品情報
著者 宮尾登美子
出版日 1984年9月6日

小説の概要

 
 この作品は、幕末を舞台に、薩摩さつま藩の武家出身ながら、江戸幕府の13代将軍・徳川家定いえさだの正室として将軍家に嫁ぎ、大奥御台所みだいどころ(トップ)として徳川家を支えた天璋院てんしょういん篤姫あつひめの生涯を描いた歴史小説です。
 
 2008年にNHKで放映された大河ドラマ『篤姫』の原作でもあります。
 
 将軍家の正室は、一部の例外を除き代々京から身分の高い宮家か公家の娘を招くのが通例ながら、薩摩藩を治める島津家の分家の一つである今和泉いまいずみ島津家という身分の低い武家出身の篤姫が将軍家へ輿こし入れしたことで味わう様々な苦労を疑似体験するような内容です。
 
 小松帯刀たてわきや西郷隆盛、大久保利通、坂本龍馬など幕末の有名人が入れ替わり立ち替わりに登場する派手な群像劇スタイルの大河ドラマとは異なり、原作小説はあくまで篤姫の視点やその周囲の者たちに限定され、大奥の中だけで話が進むこじんまりしたストーリーです。
 
 中でも、篤姫が後見となる14代将軍・徳川家茂いえもちの正室である孝明天皇の妹・和宮かずのみやという、武家出身の篤姫とは比べものにならないほど身分が上である嫁との複雑なよめしゅうとめ関係が中心となります。
 
 作者である宮尾登美子さんが実際に嫁姑関係で味わった苦い経験や思いをそのまま篤姫と和宮に重ねているため、嫁姑の心のすれ違いや、嫁ぎ先の家にまるで馴染もうとしない嫁・和宮に対する姑・篤姫のヤキモキする焦燥に人間臭さが宿り、幕末を壮大なスケールで描く大河ドラマとは異なる私小説的な身近さが魅力です。
 

大奥で勃発、幕末最大の嫁姑バトル

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 この作品は、大河ドラマ版を先に見てから原作小説に手を出したため、両者の方向性がまるで異なることに驚きました。
 
 大河ドラマ版は篤姫だけでなく、小松帯刀や西郷隆盛、大久保利通といった薩摩出身の偉人が多数登場し、篤姫の将軍家輿こし入れの話と同時進行で薩摩藩がどのように討幕に傾いていくのかが語られる群像劇ですが、原作はあくまで篤姫の視点のみで、薩摩の出来事は一切描かれません
 
 特に、大河ドラマと原作で大きく異なるのが、原作はあくまで篤姫と和宮の嫁姑問題を中心に扱うという点です。原作は、武家出身で身分が低い姑である篤姫と、孝明天皇の妹という雲の上のような身分の嫁・和宮が相対し、将軍家の嫁としての自覚がまるでない和宮に篤姫が手を焼くという話に焦点が絞られています。
 

多分、この小説がドラマではなく映画化されるのであれば、この篤姫と和宮の嫁姑関係の部分だけが抜き出されますね

 
 あくまで今和泉いまいずみ島津家から将軍家へ嫁いでくるという前半部分はこの中盤以降の嫁姑関係の下準備でしかなく、本番は公武合体のため14代将軍・徳川家茂いえもちに和宮が嫁いでくることで起こる、大奥内の江戸方と京方の対立です。
 
 嫁姑問題と言っても、構造としては師匠と弟子の話でもあり、苦労人の師匠が甘やかされた箱入りの弟子の教育にあくせくする話としても楽しめます。
 
 作者の宮尾登美子さんは明らかに姑側に肩入れしており、途中から篤姫と作者の姿が重なり、「どうして嫁のくせに姑をキチンと立てないんだ!?」とか「周りの女中に頼らず自分の判断で動け!?」とか、「いつまでも甘えていないで御台所みだいどころとして大奥を引っ張っていけ!?」とか、嫁への半分創作で半分本音の説教で溢れ、他の部分に比べ嫁姑の確執の部分だけ文章から伝わる感情の生々しさが段違いでした。
 
 あとがきでも、自分が姑の側の年齢となったことと、徳川の姑としての篤姫に興味があったと書かれており、半分歴史小説であり半分宮尾登美子さん自身の話でもあるという印象を強く受けます。
 

原作小説と大河ドラマの比較

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 前述した通り、原作は篤姫の視点に絞った和宮かずのみやとの嫁姑問題が中心ですが、大河ドラマ版は幕末の有名人を勢揃いさせた壮大なスケールの群像劇となっています。
 
 まず、原作からドラマへの変更点で個人的に100点だと思うのが、原作で攘夷派だった篤姫を開国派にしたことです。原作小説を読んで一番ガッカリしたのが篤姫が攘夷派で、外国人を日本から追い出すべきという差別的な人間として描かれていることでした。最初に大河ドラマを見たこともあり、篤姫はもっと視野の広い博識な人だという思い込みが強くあり、この内向きで保守的な政治思想はまったく受け付けません。
 
 ここは原作遵守などせず、篤姫を現代に相応しい聡明な人物として描き直した大河ドラマ版のほうが遙かに好ましく感じます。
 
 次に、原作では悪人だった人物を大河ドラマでほぼ全員善人として描き直すという変更点は長所・短所がハッキリ別れます
 
 まず、長所は篤姫の生まれ故郷の薩摩と将軍家が敵対関係になるという終盤の悲劇的な展開にぐっと深みが増したことです。原作では、薩摩藩主であり篤姫の義理の父親である島津しまづ斉彬なりあきらは悪人として描かれており、薩摩と将軍家が敵対関係になることに悲劇性は特にありません。
 
 しかし、大河ドラマは、斉彬なりあきらを名君とし、常に篤姫の安否を気遣う心優しい人としているため、薩摩が敵となる終盤が胸を締め付けられるような悲劇性を帯び、ここは大河ドラマ版が原作より優れる点の一つだと思います。
 
 ただ問題は、原作で悪人だった人物がドラマ版でほぼ全員善人に逆転しているにも関わらず、ストーリーの流れは基本的に原作をなぞるため、そこかしこで齟齬そごが生じていることです。
 
 最初に大河ドラマを見た時にところどころ脚本が不自然に感じられましたが、原作小説を読むとその理由が分かります。元々原作で悪人という設定の人物が考えた計画を善人になってもそのまま実行しているので、登場人物の行動にあまり筋が通っていません
 
 中でも、悪人を善人として描き直すという変更によって最大の被害を被っているのが大奥の総取締の滝山です。原作では篤姫の教育係である幾島は斉彬なりあきらや薩摩の利益のためだけに動く単純な人のためそれほど目立ちませんが、大河ドラマでは斉彬なりあきらが名君として描かれているため、大奥の女中を束ねる滝山よりもむしろ幾島のほうが目立ち、存在感が原作と逆転しています。
 

これは演じる松坂慶子の女優としての圧巻のオーラもあり、やむを得ない部分もあります

 
 原作では、滝山は水戸の老公である徳川斉昭なりあきや、15代将軍・徳川慶喜よしのぶの本性を見抜き糾弾することで篤姫に絶大な信頼を寄せられ、大奥の困難を共に乗り越えていく戦友として描かれます。しかし、大河ドラマ版では悪人が全て善人となるため、滝山は単に人の悪口を言うだけの人となり、原作の本物と偽物を見極める眼力の鋭さや人間観察力がごっそり削られ、魅力が半減しています。
 
 このように、大河ドラマ版は原作から設定を大きく変更しているのに細かい脚本の調整が行き届いておらず、原作では魅力的だった人物の果たす役割が消失していたり、逆に原作ではそれほど重要でない人物が準主役級の扱いになったりと、チグハグな箇所が多く見られます。
 
 さらに別の重大な欠陥もあり、それはドラマ版が原作より恋愛要素を強化するため夫婦の絆を前面に押し出していることです。その結果原作に存在した篤姫の父である今和泉いまいずみ島津家の当主・島津忠剛ただたけの側室(妾、愛人)の存在が消えています。そのため、篤姫が将軍家に嫁ぎ、自分の夫に側室がいる事実にショックを受ける際、自分の生母であるお幸の方も今和泉島津家のため側室の存在にじっと耐えていることを思い出し、母の笑顔の裏に隠された屈辱を知るという重要な場面がありません。
 
 これは非常に大きな問題で、なぜなら原作者である宮尾登美子さんという作家は、歴史の裏で女が男によってどれだけ理不尽な目に遭ってきたのかを小説を通して訴えることを信条にしている人だからです。
 
 篤姫の両親はむつまじい夫婦ではなく、仲の良い夫婦に見えるように、妻が夫の愛人を黙認し、夫が愛人に生ませた子供の面倒も見ている、とついだ家の繁栄のため屈辱に耐える妻という非常にむごい設定が背景にあり、この部分を真正面から描かない大河ドラマ版は宮尾登美子さんに対する誠実さに欠けていると思います。
 
 『天璋院篤姫』という小説は、男の政治の道具として扱われる篤姫や和宮かずのみやはじめ、家の繁栄のため夫が側室を持つことにただじっと耐え忍ぶことしか許されなかった女の苦しみを代弁する作品でもあり、このテーマ性を表面的な夫婦愛で塗りつぶそうとする態度は許せませんでした。
 

最後に

 
 両者を比べると、双方に大なり小なり不満もありますが、篤姫と和宮の嫁姑問題を核とする小さい話である原作小説と、激動の幕末を壮大な群像劇として描く大河ドラマ版とそれぞれ甲乙付けがたい魅力があります。
 
 個人的には、女の不幸と滅びゆく家の無常観といった宮尾登美子色が濃厚な原作小説のほうが好きですが、大河ドラマで増幅されている故郷の薩摩と将軍家の篤姫が敵対する悲劇性や、篤姫と13代将軍・徳川家定いえさだとの極上の恋愛要素と、原作より遙かに優れている箇所もあり、改めて大河ドラマは大河ドラマで素晴らしい脚色だと思います。
 

大河ドラマ版

 

 

 

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