著者 | 岡嶋裕史 |
出版日 | 2019年2月14日 |
難易度 | 普通 |
オススメ度 | ☆ |
ページ数 | 約205ページ |
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本の概要
この本は、情報セキュリティの専門家であり、実際に大学で学生に対してプログラミングを教える立場でもある著者が、プログラミング教育がいかに日本の未来にとって重要なのかを解説するという内容です。
プログラミング教育と言っても、プログラミングそのもの(コードを書くこと)ではなく、プログラミングを覚える過程で身に付く問題解決力こそが重要であり、この能力を高めることこそがプログラミング教育の目的であるという主旨です。
それに加えて、現代社会は高度なプログラムで作られた情報システムが張り巡らされており、プログラミングの知識がないと社会全体がブラックボックス化するという問題を防ぐためにもプログラミングの知識が大切と解説されます。
もはや日本が国際競争で勝ち残るためにはプログラミング知識は教養に近く、子供にプログラミング教育を受けさせるのは未来への投資であることが分かる一冊です。
異文化コミュニケーションとしてのプログラミング
この本で、何度も繰り返されるのはプログラミングとは言語が異なる他者との異文化コミュニケーションであるという主張です。
プログラミング教育とは、単純なプログラミングのテクニックを磨くことではなく、人と異なる言語を扱う機械に対して、どのように人間の言葉を機械語に翻訳し相手に伝えるかのコミュニケーションであるという発想は非常にユニークでした。
プログラミングを目も口も耳も手も足もなく、一切の感情も持たない、ただ0と1しか理解できない人外の存在との異文化コミュニケーションと捉えるなど想像すらしたことが無く、この部分は読んでいてSF的な面白さすらあります。
コンピューターとは論理でしか動かない融通の利かない他者であり、コミュニケーションを図るには、人間が同類同士で意思疎通する際に言葉やジェスチャーで大雑把に省略するような細かいニュアンスすら一つ一つ拾い直してプログラムする必要があり、それを繰り返すことで言葉が通じない他者への想像力が養われると説明されます。
そのためプログラミングを学ぶと問題を解決可能なサイズまで細分化して考えるクセが身に付くと同時に、相手の立場になってものを考える思考力やコミュニケーション能力も鍛えられ、多種多様な問題解決力が備わるというのがこの本の主旨です。
目に見えないデジタルの壁が立ちはだかる現代
プログラミング教育により問題を細分化して考えるクセが身に付き問題解決力が鍛えられるという主張以外に、この本が子供たちがプログラミングを学ぶべき理由の一つとして挙げるのが社会のブラックボックス化です。
社会全体に高度なプログラムで作られた情報システムが組み込まれることが当たり前となった現代において、プログラミングの知識がない状態だとこれがブラックボックスのように見えてしまい、世の中がどのように動いているのか仕組み(ルール)が把握できません。
その結果、将来何をするべきなのか具体的なイメージが持てず途方に暮れ、無気力な人間を生み出しやすくなるという指摘は自分自身にも当てはまることが多々ありました。
賢い人たちはまず最初にルールを把握し、ルールに則って自分の行動を組み立てられるのに対し、そもそも社会や経済のルールを理解していないと行動の指針が立てられず右往左往するのみで、しかも現代社会はそのルールすら高度なプログラムで半ば暗号化され容易に把握することすら困難です。
この社会全体がブラックボックス化することで自分たちを取り巻く環境がどのような仕組みで動いているのか容易に把握できなくなり、結果自分は何も出来ないちっぽけな存在だと思い込み思考を放棄する無気力な人間を大量に生み出してしまう状態こそを著者は危惧しており、その状況に抗うにはプログラミング教育が必要と説いています。
プログラミング教育は問題を自分が理解できるサイズまで細分化する思考力と、単純にプログラムで動くシステム群に対して苦手意識を取り除く効果があり、日本の未来にとっては非常に有用なものだと思います。
最後に
プログラミング教育の有用性以外にも、教育には高価な機器が必要でそのため授業料が高くなってしまい経済格差を生みやすいという問題を孕んでいることなど、プログラミング教育に関する様々な指摘は読んでいて大変考えさせられる内容でした。
この本を読むと、もはやプログラミングの知識とはプログラマーになりたい人だけが習得する専門知識ではなく、それを知らないと様々な場所で支障をきたすような国際社会の共通語のようなものであり、現代を生き抜くための必須教養になりつつあるということが理解できます。
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