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【純文学】満州から故郷への帰還、そして母との別れ |『仁淀川(によどがわ)』| 宮尾登美子 | 書評 レビュー 感想

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評価:80/100
作品情報
著者 宮尾登美子
出版日 2000年12月25日

小説の概要

 
この作品は、作者がかつて経験した満州からの引き揚げ体験を元に書かれた自伝小説『朱夏』の続編です。『朱夏』のラストから切れ目なく話が繋がっており、前作を読んでいないと意味が分かりません。それにデビュー作である『櫂』ともリンクしており、そちらを読んでいるとより話に深みが出ます。
 

 

この小説が『朱夏』からそのまま話が繋がる続編だと説明がないのはさすがに不親切だと思います

 
満州での避難生活や引き揚げ体験のような歴史的な出来事とは打って変わり、都会でワガママ放題育った綾子が嫁ぎ先の田舎で都会との習慣の違いに苦しみ、馴れない農業で体調を崩し死病である肺結核となり、常に自分を甘やかしてくれた義理の母・喜和きわや実の父・岩伍と死別するなど、より作者の個人的な人生に集中しており、宮尾登美子という作家そのものに対して思い入れがない場合はあまり楽しめない内容です。
 
都会から嫁いできたモダンな嫁と、目立つことを極端に嫌う田舎そのもののような朴訥ぼくとつしゅうとめ・いちとの嫁姑関係が静かに摩擦する様や、大好きな母と死別する哀しみなど、純文学として他の宮尾作品となんら変わらない完成度ですが、いかんせんラストがこれまで読んだ宮尾作品の中でもワーストと断言できるほど尻切れトンボの唐突な終わり方で読後感はイマイチでした。
 

都会の嫁、田舎の姑、静かなる戦い

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まずこの小説で心を掴まれるのは冒頭の高知県を流れる仁淀川によどがわの描写で、水が乏しい乾いた満州の土地に対し、清らかな水が豊富な日本の景色が対比され、満州から日本への帰国に安堵させられます。
 
『朱夏』と続けて読むと、この冒頭部分だけで水が豊富な日本がどれほど恵まれた環境なのかが身に沁みて分かり、改めて日本の豊かな自然に対し感謝の思いが湧きます
 
ここはダラダラと帰国の喜びを書かず、満州へ移民する際は単なる日常風景の一部でしかなかった仁淀川の流れが、帰国後は何よりも清く尊く映ることで綾子の心境の変化を描くことに成功しており、冒頭の入り方としては完璧でした。
 
ただ、仁淀川という川自体は故郷を象徴する川という以上の意味はなく、別段小説内で綾子の心境を川の状態で例えることもないため、タイトルに相応しいかと言われると疑問です。
 

せめて仁淀川から始まるのなら仁淀川で物語を終わらせるくらいの工夫は欲しかったと思います

 
前作の『朱夏』が満州での極めて特殊な経験を描いた小説だとすると、こちらは日本の歴史上どこにでも転がっていそうな嫁姑が互いに抱く感謝や憎悪、母への想いを綴った純文学であり、ぐっと身近な話になりました。
 
田舎生まれ田舎育ちの生粋きっすいの百姓である姑と、女中がいるような裕福な家庭で育ち、家事などほぼ自分でしたことがない世間知らずの都会の嫁が互いにまったく話や考え方が噛み合わず意思疎通が出来ない様はどこかホラー小説的でもあり、読んでいて胃がキリキリ痛くなる緊張感があります。
 
特に、畑仕事を一切手伝わず、突然姑の目の前でマイペースに英語の勉強を始め、夫や姑に呆れられる綾子の幼稚な行動は読んでいてこちらが冷や汗をかきました。
 
この空気がまったく読めず気配り出来ない嫁描写は『天璋院篤姫』における篤姫と和宮かずのみやの関係を思い出します。
 

 
『天璋院篤姫』を読んだ際も、働き者の篤姫とまるで気が効かない和宮の関係は作者が個人的に経験した嫁姑問題が強く反映されていると感じましたが、自伝的な小説である本作を読むと和宮は若き日の自分が投影されているのだとその疑問が解けました。
 
それに『一絃の琴』に登場する誰よりも働き者である主人公・苗の祖母である袖は、この小説に登場する最初の夫の姑・いちがモデルであることもかいこ繋がりで察することが出来ます。
 

 
宮尾小説に登場する人物の大半はフィクションとは思えないほど感情の揺れ動きが繊細で実在感があり、それは実人生で長く付き合った人をモデルに書いているからこそのリアリティなのだとこの小説を読むことでハッキリと理解できました。
 

最愛の母との別れ

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本作の最大の見所は、嫁姑問題ではなく血の繋がらない義理の母である喜和きわとの別れです。
 
喜和は宮尾文学の最高傑作『櫂』の主人公でもあるため、さすがに喜和が亡くなる場面は『櫂』で喜和が味わった数々の苦労まで思い起こされ涙が溢れました。
 

 

『仁淀川』を読む前に『櫂』を読んでおいたほうがこの部分が遙かに味わい深くなります

 
実家が女性を遊郭や料亭に紹介する女衒ぜげんという職業を営みそのことに引け目を感じていたことや、満州からの引き揚げ者であることなど、派手な経歴がある中、実は生みの母の顔を知らず、育ての母が二人いるなど、母と娘の関係も複雑な家庭で育った宮尾登美子さんにとって、どんな時でも自分の味方であった喜和は誰よりも特別な存在であると『櫂』と合わせるとよく分かります。
 
最初は『朱夏』のアフターストーリーだと思っていたのが、徐々に『櫂』の完結編となり、最後は自伝的な小説を書く目的は結局天国にいる大好きな母へと捧げる感謝の記であるという意図が分かり、『櫂』で描かれた母の娘への想いと、娘から母への感謝の想いが見事に自伝小説を通じて繋がる様は見事でした。
 

・・・疲れたの?

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この小説は、母と娘の話として非常に楽しく読めていたのに、執筆中に疲れて結末を放棄したような唐突な終わり方は最悪でした。
 
これまで読んだ宮尾小説の中でダントツのワーストな幕切れの仕方で「こんな終わせ方でいいのか?」と我が目を疑いました。
 
前編・中編・後編の構想があったとすると、前編のラストで力尽き、中編・後編を飛ばしていきなり後編のエピローグに繋げたような強引な終わり方で、到底納得できません。
 
この後に一悶着ありそうなのに、それを全部省略していきなり20年後に時代が飛び、20年間にあった出来事を適当な回想で済ませるため、小説の構成として破綻しています。
 
これならせめて喜和との別れに焦点を絞り、そこで物語を一端終わらせ、本編とやや分離させる形でエピローグとして20年後の自分が過去を回想する話を別個に置いたほうが100倍マシでした。
 
とにかくラストの構成が無茶苦茶で余韻も何もあったものではありません。
 

最後に

 
『朱夏』と話が地続きの続編ですが、どちらかというと『櫂』における母と娘の愛情が好きな人のほうがより深く刺さる内容です。
 
純文学としては面白く、読んでいて退屈な瞬間は一切ありませんが、ラストが本当に酷いためそこだけ覚悟をしたほうがいいと思います。
 

『櫂』のラストは切ない余韻を残す最高の終わり方だったのであれと比べると雲泥の差です

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