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命を賭した執念の超大作 『宮尾本 平家物語 #1~4』 著者:宮尾登美子 〈書評・レビュー・感想〉

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評価:100/100
作品情報
著者 宮尾登美子
出版日 1巻:2001年5月1日
2巻:2002年3月1日
3巻:2003年4月1日
4巻:2004年4月1日

小説の概要

 
 この作品は鎌倉時代に作られた、平家の台頭と没落を描いた軍記物『平家物語』を題材とし、そこに作者の想像を加えた歴史小説です。
 
 長大な『平家物語』を元にしているため、作者である宮尾登美子さんの全作品の中でも最長を誇る全4巻で2000ページを軽く超える超大作になっています。
 
 そして、2005年にNHKで放映された大河ドラマ『義経』の二作ある原作のうちの一つですが、大河ドラマはこちらの『宮尾本 平家物語』を元に作られており、もう一つの『義経』はオマケのようなものであまり関係ありません。
 
 軍記物である『平家物語』を題材にしていても合戦シーンは控えめで、平家の棟梁として懐が深い平清盛の人物像を描くことと、平家の盛衰に翻弄される女たちの悲哀が中心です。
 
 宮尾登美子作品らしく、小説の隅々まで人の情念が行き渡り、平家の栄華と没落を俯瞰した歴史としてではなく、人の血が通う平家の女たちの物語として描き切った大傑作でした。
 
 ただ、読むのに軽く一週間はかかる凄まじいボリュームな上に、最低限平安時代に関する歴史の知識がないと理解しづらい内容で、気軽に読めるような作品では決してありません。
 

最低でも上皇・法皇や院政が分からないと話になりません

 
 それでも、作家として培ってきた全ての経験を注ぎ込んだような並々ならぬ気迫が宿った一作で、読むと間違いなく宮尾登美子という作家の気迫に圧倒される力作です。
 

この小説の執筆途中で死ぬなら本望という覚悟

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 この小説の凄さは、長大なボリュームや平家の盛衰を女の視点から描くという困難な挑戦もさることながら、作者が執筆に挑む際の心構えも並みの小説とは比べものにならず、その点にも感銘を受けました。
 
 執筆に至るまで準備期間が3年。そこから週刊誌へ4年間の連載。史料は段ボール40箱分で、小説の歴史考証を専門家に依頼。しかも文献を参照させて貰った学者全てに直筆で感謝の手紙を書くという、一流の作家は一つの小説を書くためだけにここまで細部に気を配るのかというお手本のような気合いの入れ方です。
 
 この小説が書かれた背景や経緯を知れば知るほど宮尾登美子さんという作家に対する絶大な信頼が生まれ、この人が書く小説なら手抜きなど一切無く、作品を我が子のように愛おしみ、心血を注いだ会心の作なのだと安心して読み進められます。
 
 この『宮尾本 平家物語』という作品は、小説の完成度を高めるためならあらゆることに妥協せず、出来ることは全てやり尽くすという作者の並々ならぬ執念が本から溢れ出ており、その凄みに呑まれるばかりでした。
 
 2000ページを超える超大作なのに、途中で手を抜くような箇所は一切存在せず、それは『平家物語』という日本の古典の中でも珠玉の大作を題材としているだけに下手なものは書けないという作家の意地を感じさせます。
 
 それに、本が売れる売れないは一切関係なく、自分が作家として培ってきた経験を全て『平家物語』にぶつける命を懸けた挑戦という側面も濃厚で、小説を読めば読むほど、この本の背景を知れば知るほど、これを書き上げた宮尾登美子という偉大な作家を尊敬せずにはいられません。
 

平家の女は何を想う

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 宮尾登美子小説の最大の魅力はなんと言っても、自分とは異なる境遇や時代を生きた他者へ耳を澄ませ、遙か過去から発せられる掻き消えそうな声なき声を必死で拾い上げる真摯な姿勢だと思います。
 
 そのような態度で描かれる平家の女たちの中でも一際目立つのが平清盛の妻であり、清盛亡き後は平家を引っ張る女棟梁となる時子でした。あまりに時子の心の揺らぎがこと細かく描かれるため、読んでいると次第に歴史上もこういう人物だったとしか思えなくなります。
 
 それに宮尾登美子さんは心の機微を読むだけでなく、その人が胸に秘めるドス黒い欲望も決して否定せず受け止める度量を持ち、むしろそれを活用しその人らしさに変換してしまう技もあり、その結果平家の女の中で最も複雑な立場に置かれ、政治的な謀略の中心に置かれる時子は他の登場人物より一段輝いて見えます。
 
 平清盛の妻として平家に嫁いでくる際は、先妻の子供も自分が産んだ子供も決して差別せず全員自分の子供として育てると武士の嫁としての決意が固かったのに、結局先妻の子供や愛人に生ませた子が憎たらしくなり、自分が産んだ子供を贔屓したいと思うようになったかと思いきや、やはり平家の女を代表する者としては平家の大将に相応しい他人腹の子供も大切にしなければならないと自分に言い聞かせるも、結局出来が悪くても自分が産んだ子供を平家の棟梁にしたいという欲望に負けるなど、一人の母親としての願望と、平家を率いる者としての公平性の狭間でひたすらに揺れ動く様は、宮尾登美子小説の味わい深さをそのまま体現しているとすら思います。
 
 他にも、自分の娘を天皇に嫁がせ、何とか皇子を産ませ天皇の血筋に我が平家の血を加えたいと願うも、自分の娘以外の者が天皇の寵愛を受け妊娠すると皇子を産むなと願い、しかし自分も平家の嫁として男子を産まなければならないプレッシャーを知っており、その者の苦労も察することが出来さすがにこのような振る舞いは人としては良くないと思いつつ、結局平家の繁栄が何よりも大事なためライバルに皇子でなく皇女が産まれると大喜びするという、誰よりも常識人である時子だからこそ理性と欲望の合間を行き来する懊悩おうのうや、つい他者の不幸を願ってしまう浅ましさすらも人間味となり、この作品の中では清盛を抜いて最も印象に残りました。
 
 それもこれも単に『平家物語』が好きというだけでなく、その中で男の添え物としてのみ描かれ名前すらなくただ女としか記述されなかった、確かにそこにいたのに誰もその存在を覚えていない者たちが何を考えていたのか、その想いをすくってあげたいという使命感のようなものが強烈で、それがこの小説を傑作たらしめる最大の要因だと思います。
 

大河ドラマとの比較

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 NHKの大河ドラマ『義経』はこの作品を映像化したものですが、原作を読めば読むほど、脚色の手腕が優れていることがよく分かります。
 
 特に際立って優れているのが“新しき国”という、清盛、頼朝、義経の理想とする世を表した言葉の創出です。
 
 これは大河ドラマを見た時はそこまで深くは考えなかったものの、原作を読むと、この“新しき国”という言葉を盛り込んだことによって、清盛にとって平家の繁栄の象徴である福原や、頼朝にとっての堕落した朝廷ではなく規律正しい武士の都である鎌倉、義経にとっての平和な平泉をモデルとした未知の理想郷という、それぞれがどんな理想を求めそれゆえ歩み寄れず道をたがえるというテーマが整理され、原作よりも好ましく思えます。
 
 特に最も効果を発揮しているのが、清盛が思い描く海外との貿易の拠点と考える福原への遷都せんとです。
 
 清盛が福原に自身の夢を託したという描かれ方は原作とほぼ同じですが、“新しき国”という言葉を盛り込み、ドラマの序盤から屏風びょうぶとして理想の形を見せ、福原への想いを清盛に語らせたことにより、平家のおごりによる強引な遷都という部分が薄まり、清盛の切実な夢がやぶれてしまう切ない話という面が数十倍に強調され、これは原作より遙かに効果的に描けていると思います。
 
 原作は基本的に清盛よりも妻の時子視点なため、どちらかというと自分に相談もせず清盛が勝手に遷都を決め暴走したという印象を強く受け、大河ドラマ版ではこれが清盛視点となることで、自分の夢を否定される苦しい話という部分が前面に押し出され、同じ話でも見え方がまるで異なります。
 
 それに、義経はじめ源氏サイドの描かれ方も原作よりドラマ版のほうがより優れていると思います。原作では源氏はただの平家のオマケでしかないため、存在感が特にありません。
 

義経の最期なんて数行で片付けられます

 
 そのため、ドラマ版では源氏サイドに原作をほぼ無視した大胆な脚色を加え平家に負けないように工夫が凝らされています。
 
 まず、原作でちょろっとだけ触れられる義経が幼少期に清盛を自分の父と勘違いしていたという設定を大きく大きく膨らませ、さらに平家の子供たちと幼馴染みだったという設定も新たに加えられ、より義経が平家と対峙する悲壮さを強めています。これは、元々設定の土台が安定している平家に義経の人生を絡めて厚みを加えるという、一石二鳥の見事なアイデアだと唸らされました。
 
 それに、原作では義経と頼朝兄弟が大量の愛人と乳繰り合う描写が長いのもドラマではばっさり削られています。義経は静御前との関係のみに集中し、二人が引き裂かれる悲劇性をより深める方向に。頼朝は原作では北条政子の逆鱗に触れた後も愛人の亀の前との関係をダラダラと継続させていたのを、ドラマ版では亀の前を頼朝の人としての思いやりや情の象徴とし、これを切り捨てることにより非情な人間として生まれ変わるという通過儀礼的な役割に置き換えており、ドラマ版は全体的に論理的な脚色が冴え渡っています。
 
 それ以外も、清盛は一度も会ったことのない母親の面影を追い求め、義経は同じく一度も言葉を交わす機会が無かった亡き父の面影を清盛や藤原秀衡ひでひらや兄・頼朝に求めるなど、時子はじめ母性が強い平家と、頼朝はじめ父性が強い源氏と、母性と父性が対になっている構造など、褒め出すと切りがありません。
 
 大河ドラマ版は原作の長所を大切に扱いながら、明らかに弱い部分は原作を無視してでも補強しており、ハッキリ言って元の小説とはかけ離れた内容ながら、原作への確かなリスペクトは感じられ嫌な気分にはなりません。
 
 ただ、原作を一通り読むとどうしても改悪された点も数多く目に付きました。
 
 まず、ドラマ版は戦のシーンが削られ過ぎているせいで、木曽義仲が義経と比較しても劣らないほどの戦上手という点が曖昧になっており、ドラマ版ではただの暴れん坊の狼藉者にしか見えません。義仲は、戦は上手いのに政治的手腕が皆無なため徐々に孤立していくという点が義経と酷似する人物なため、もう少し後の義経の顛末を予言するような意味深な描き方に出来なかったのかという不満が残ります。
 
 それに、平家側の人選はどうしても壇ノ浦の戦いを中心に、そこまで生き残る人物を優先して描いているため、その死が平家転落の始まりとなる清盛の後継者であった長男・平重盛しげもりの存在感があまりにも薄く、ここはもう少しどうにかならなかったのかと思います。
 
 後、重盛に比べると微々たる問題ですが、時子の弟(清盛の義理の弟)である平時忠ときただの娘が義経の元に嫁ぐというエピソードが削られているせいで、平家のトラブルメーカー時忠がまったく目立たないのも寂しく映りました。
 

「平家にあらざれば人にあらず」と言って顰蹙を買った人ですね。ちなみにドラマ版ではこの一言が源頼政の決起を後押しするという無駄のない展開になっています

 
 その他も、原作では頼朝の世話を任された宗清が頼朝の姿と亡き自分の息子の姿を重ね命を救って欲しいと頼み込み、池禅尼いけのぜんにはその意を汲んであげ、亡き長男である家盛と頼朝はまったく似ていないということを理解した上で清盛に助命を嘆願したという切ない設定がごっそり削られていたり、原作では時子と同様丁寧に描かれていた平知盛とももりの妻あきらけい子の役割が大幅に減っていたりと、細かい不満は尽きません。
 
 ただ、ドラマ版は大幅に改変されているのにも関わらず、原作の核である、その人は何を考え何に苦しんでいたのか、その声なき声をすくい取るという志は同様のため大河ドラマ版も変わらず大好きです。
 

最後に

 
 長大なボリュームに気圧され、まるで平安時代の営みを体験するような細やかな生活描写に感動し、読んでいる最中はあまりの細部へのこだわりに驚くことばかりでした。
 
 そして、そんな作品を書き上げた宮尾登美子という一人の偉大な作家の執念と底力を見せつけられた衝撃は大きく、この作品を読んだことで自分の中で小説観のようなものが変化したのが何よりの収穫です。
 
 作家がいかに自身の作品に命を刻むのかその業の深さにたじろぎ、ただの言葉の連なりが悠久の昔に意識を飛ばし、平安時代の平家の隆盛と衰退を垣間見たような心地にさせる小説の奥深さに感動しと、事前の予想を遙かに超えた大傑作でした。
 

大河ドラマ版

 

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