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【SF小説】傑作前日譚、堂々の完結 |『マルドゥック・ヴェロシティ #3 最終巻』| 冲方丁 | 書評 レビュー 感想

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作品情報
著者 冲方丁
出版日 2006年11月22日
新装版:2012年8月23日
評価 90/100
オススメ度 ☆☆
ページ数 約358ページ

小説の概要

 
この巻は『マルドゥック・ヴェロシティ』シリーズの最終巻です。
 
謎だった傭兵集団カトル・カールを雇った黒幕の正体、そして09チームがどのように崩壊し、かつては仲間だったボイルドとウフコック&ドクター・イースターたちが敵対するに至ったのかの顛末が語られます。
 
結論から言うと、このヴェロシティは前日譚としても、単体の作品としても事前の予想を遙かに超えた傑作でした。
 
ボイルドと苦悩を共有させるため、厳選した言葉を韻を踏むように並べるリズミカルな文体を用いたことが功を奏し、読み終える頃にはバロットを喰ってしまうほどボイルドの存在が巨大になります。
 
仲間が次々惨殺されていくカトル・カールとの熾烈な殺し合いや、ついに事件の黒幕たちが判明する怒濤の衝撃展開の連続。そしてボイルドとウフコックが袂を分かった理由も語られ、話の盛り上がりは過去最高です。
 
途中からウフコックの存在感が薄れてしまう点や、終盤やや『マルドゥック・スクランブル』に話を繋げるため過剰に説明臭くなる点などいくつか気になる箇所はありますが、それでも本編の見え方を激変させるほどの傑作でした。
 

ボイルドの不器用さを際立たせる文体のマジック

 
3巻で最も良かったのは、ボイルドに残る人間らしさの残滓ざんしを特殊な文体を使いこなしすくい取っていく文章力で、読み応えは全3巻の中でも今巻がベストでした。
 
1・2巻に比べ、この癖のある文体を使いこなす技術とその効果が飛躍的に向上しています。そのため、ボイルドの鋭利な感情が胸に突き刺さり、このシリーズの主役はボイルドにしか思えなくなりました。
 
それに、無駄のない文体は可能性をまれ理詰めで逃げ道を塞がれる恐怖も際立たせ、ヴェロシティはこの文体ありきの作品であると前の巻より強く意識させられます。
 
危機的状況に陥るほど、精神的に追い詰められるほど、この装飾を一切排した、ボイルドの心情を剥き出しにする文体がより一層悲壮感を強め、文章は冷静なのに、コチラの感情は激しく揺さぶられました。
 

ヴェロシティという一つの完成された物語

 
本作は『マルドゥック・スクランブル』の過去の出来事というだけでなく単体の作品としても優れており、最終巻まで読むと本編に繋がる場面どころか、このヴェロシティ内だけで完結する予兆にすら溢れ返っていたことに気付かされます。
 
クルツとオセロットという理想的なパートナーが実はボイルドとウフコックの未来を示していることや、パートナーであるオードリーを失い深く傷つくラナがボイルドのウフコックやナタリアを失う恐怖に重なるなど、もう一度頭から読み直すと意味合いが変わる箇所がいつくもありました。
 
最終的にボイルドとウフコックが袂を分かつことは決まっているはずなのに、まるで予行演習のように強固な絆で結ばれていた者たちが次から次に信頼関係を喪失していくのを見せつけられ、こんな辛いことがボイルドたちの身にも降りかかるのかと心苦しさがより増していきます。
 
ヴェロシティを読むことで『マルドゥック・スクランブル』で語られたボイルドとウフコックはかつてパートナーだったというただの既成事実が、厚い信頼関係で結ばれていたコンビが決別する悲劇として認識され直し、未来に起こる出来事が決まっていることがなんらマイナスになりませんでした。
 

若干、辻褄合わせに走りすぎな終盤

 
本作は、ボイルド関連のエピソードはどれもこれも優れており、ボイルドという一人の人間の話としても、『マルドゥック・スクランブル』の過去の話として読んでも両方成立するほどの傑作で、不満は特にありません。
 
ただ、終盤の展開がやや慌ただしく、中盤までの怒濤の勢いに対して若干失速して終わるためここは非常に残念でした。
 
これまでずっと追ってきた大きな規模の事件に対して、終盤本編に話を繋げるためドラッグの売買に関する小さい規模の事件が唐突に始まり、この件にまったく深みがありません。それなのに、この事件がボイルドとウフコックが決別するキッカケとなってしまうため不満でした。
 
この終盤から突然始まる微妙に本筋からずれた話で『マルドゥック・スクランブル』側との辻褄合わせがされるため非常に説明臭く、ここだけ全体から浮いて見えます。一応09チームを罠にはめるための謀略とは言え、ボイルドが制圧するのがこんなついさっき始まったばかりの事件なのかと少々ガッカリでした。
 
それに、1巻から散々引っ張ってきたカトル・カールの雇い主の正体も、実は途中で限りなく嘘に近いズルのようなことをしており、正体が判明しても驚きはさほどありません。
 
この最終巻は、多くの謎の真相が語られるのにミステリーとしての快感はほぼなく、ボイルドに直接関係していないエピソードはさほど印象に残りませんでした。
 
後、1巻の冒頭が『マルドゥック・スクランブル』のラストシーンから始まっていたように、この最終巻もラストは『マルドゥック・スクランブル』のエピローグのような話で終わるため、いくら単純に時系列が前だからと言ってヴェロシティから読むのは絶対に止めたほうがいい内容なのは変わりません。
 

最後に

 
少々の問題など吹き飛ばすほど前日譚としても単体の物語としても完成度が高く、読んだら確実に『マルドゥック・スクランブル』ごと評価が向上します。
 
そして何よりも特殊な文体でボイルドという一人の不器用な人間の生き様を描き切った作者の冲方丁さんのセンスに脱帽させられました。
 
ボイルドが心底愛おしくなり、『マルドゥック・スクランブル』をボイルド視点で読み直したくなること請け合いの傑作です。
 

マルドゥックシリーズ

タイトル
出版年
マルドゥック・ヴェロシティ #1
2006年
マルドゥック・ヴェロシティ #2
2006年
マルドゥック・フラグメンツ
2011年
マルドゥック・アノニマス #1
2016年
マルドゥック・アノニマス #2
2016年
マルドゥック・アノニマス #3
2018年

冲方丁作品

 
 

 

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