評価:80/100
著者 | 和田竜 |
出版日 | 2009年10月28日 |
短評
戦国時代のとある地方を舞台に、戦国最強の狙撃集団である雑賀 衆の血を引く天才的な狙撃手の少年小太郎が、その恐るべき鉄砲の才能ゆえに戦 に巻き込まれる悲劇を描く歴史・時代小説。
和田竜作品の中では初めて歴史上存在した人物や、歴史上起こった出来事ではなくオリジナル設定を採用しており、歴史小説としての面白さは前二作に比べやや劣る。
たった一人で戦の勝敗を左右する天才狙撃手を奪い合う悲劇というアイデアは面白いものの、登場人物は過去二作に比べそこまで突き抜けた魅力もなく、全体的に戦国時代の武士の考え方や戦 の仕方をレクチャーする教科書的な内容で、やや精彩に欠ける。
戦国の狙撃手を巡る残酷なる物語
この作品は、戦国時代でもまだ鉄砲がそこまで重要視されていなかった時期(1556年)に、最強の狙撃集団として恐れられた雑賀 衆の血を引く天才狙撃手の少年小太郎が、その天賦 の才ゆえに悲惨な殺し合いに巻き込まれてしまう悲劇を描く歴史・時代小説です。
笑いと感動に溢れる爽やかな作風を武器とする過去二作の和田竜作品とは異なり、シェイクスピア悲劇のような残酷なストーリー展開で、苦々しい余韻を残す内容となっています。
前半はいかにも和田竜作品らしい、戦国の武士が戦 の最中に互いの技量を認め合い友情を育む胸が熱くなる展開や、最初はただのマヌケだと過小評価されていた少年が実は天才的な狙撃の資質を持っていることが判明し少年を小馬鹿にしていた者たちがその才能の開花に刮目 する痛快な見せ場など、相変わらず清涼感溢れる作風が堪能できます。
特に、前半で最も胸がすく場面である、小太郎の最大の短所だと思われていた間の抜けた性格が、実は狙撃をする際には最大の武器となるという価値の転換がされる瞬間は、和田竜作品の特徴である大きな嘘の効果を最大限発揮させるため出来るだけ細部のリアリティは確保するというこだわりが大いに生かされ、本当に天才の才能が開花する瞬間に立ち会うような興奮を味わえました。
この小太郎の才能が白日の下に晒される場面まで読み進めると、なぜか小説の冒頭がウィリアム・テルの頭の上にリンゴを載せ弓で射るのを柿 と火縄銃に置き換えたパロディなのか理由が分かり、ぐっと作品の評価が上がります。
小太郎を見守る、実質この小説の主人公である半右衛門 という武士も、功名を求め武勲にのみ生きる戦国の男の鑑 のような快男児で、読んでいるとコチラまでその豪快さに魅了されるなど、前半部は和田竜小説を読んでいるという確かな手応えを感じられます。
しかし、楽しい時間は唐突に終わりを告げ、後半は一転残酷な悲劇に。
前半の胸の高鳴りが悲劇への序曲であったことが明らかとなり、前半は喜びで持って迎えられた小太郎の神の左腕がこれもまた和田竜らしい戦国の武士ゆえの価値観で、ある人の人生を崩壊させる悪魔の誘惑となり、その後は物語が一気に奈落へと真っ逆さまに落ち出す様に目を覆いたくなりました。
この悲劇への転換は、カラッと明るい和田竜作品への先入観から入ると虚を衝かれる衝撃があり、最初は起こっている事態が信じられません。
しかし、最後まで読み進めると、敵方の猛将である喜兵衛は、全編に渡り真っ直ぐさを強調することである人物が道を踏み外してしまう罪深さを意識させる存在として配置され、前半部ではやや底の浅い卑怯な悪人として描かれる図書もまた後半では悩みを抱える二面性のある人物であることが分かるなど、周りに配される登場人物が巧妙に罪を犯す者と合わせ鏡になる構造となっており、この物語は最初から悲劇としてセッティングされていたのだと気付けます。
過去二作もなんだかんだで苦味を含むような終わり方でしたが、本作の卑怯な行為で勝ったからといって得る物など何もなく、ただただ身を焼き尽くすような罪の意識に苛まれるだけという警告は最も重く、尾を引く余韻という点では和田竜作品の中では一番記憶に残ります。
物語に束縛されるだけの小太郎はじめ、もろもろの不満点
この小説を読む前は、てっきり雑賀 衆の少年である小太郎が狙撃手として成長していく話なのかと思っていたらまったく別物で、そこの部分は期待外れでした。さすがにこのタイトルで歴史上有名な雑賀 衆の名前を出したら小太郎が主役の話だと勘違いするのは当然だと思います。
実際の小太郎は一人の血の通った人間としては描かれず、『指輪物語 』で言うと一つの指輪(サウロンの指輪)のような、それに手を出してしまうと身を滅ぼすという大量破壊兵器のメタファー的な存在で、事前の想像とまるで違いました。
これならタイトルは『小太郎の左腕』ではなく『禁断の左腕』とか『禁忌の小太郎』のほうがしっくりきます
それに、この物語は小太郎を巡る話のはずなのに小太郎はほぼ物語上は蚊帳の外に置かれるという立ち位置のため、どうしても悲劇性は半減しており、もう一押し足りないという不満もあります。
せめて、小太郎が自らの仇を知る瞬間くらいは小太郎視点で語って欲しかったですね
実は小太郎が雑賀衆の血を引いているという設定にさほど意味もなく、それと同様に全体的に登場人物が記号的でやや存在感に乏しく、どうしても過去作に比べると細かい部分の脇の甘さが気になりました。
全体的に戦 の細かい説明描写は本当にただ説明しているだけで面白さには直結しておらずイマイチ。しかも一番重要なはずの兵糧 が乏しい状態での籠城戦がいかに人から理性を失わせ共食いが起こってしまうのかという部分の説明はおざなりで、ここが弱いと共食いを始める兵たちを目の当たりにしてある決断を下すという行為の切実さも薄まってしまうので、ここはもっと時間をかけて悲惨さを強調し読者を説得して欲しかったです。
最後に
読んでいて退屈ということは一切ありませんが、この物語のキーとなるはずの小太郎の存在感があまりにも薄すぎることで精彩を欠いており、過去二作に比べると遙かにこぢんまりとしてしまった感が拭えません。
それでも、小太郎がスナイパーとして天才的な才能を発揮する際の感動は和田竜作品らしい丁寧な理屈の積み重ねが炸裂する名場面となっており、ここを堪能するだけでも読む価値はあります。
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