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【伝奇小説】一度始動したら止まらない巧妙なる殺人機構 |『絡新婦(じょろうぐも)の理 百鬼夜行シリーズ #5』| 京極夏彦 | 書評 レビュー 感想

作品情報
著者 京極夏彦
出版日 1996年11月
評価 90/100
オススメ度
ページ数 約1408ページ

小説の概要

 
この小説は、明治から大正にかけて機織はたおり機械を大量生産し莫大な富を築き、地元の人間に蜘蛛くも館と呼ばれる洋館に住む織作おりさくに絡む一連の連続殺人事件の真相を京極堂こと中禅寺 秋彦ちゅうぜんじ あきひこが暴いていく百鬼夜行シリーズの5作目です。
 
膨大な会話で話が停滞し続け読み辛かった『狂骨の夢』や『鉄鼠の檻』と異なり、次から次と矢継ぎ早に事件のフェーズが移行するためシリーズの中では比較的読みやすい部類の作品です。
 
当初はまったく関連性が見えなかった二つの連続殺人事件が合わせ鏡のような瓜二つの構造であることが分かり、背後に事件関係者を洗脳し手駒として操る黒幕の作為が浮かび上がってくる展開はゾクゾクする興奮を覚えます。
 
ただ、百鬼夜行シリーズとしては憑き物落としというより事件の真犯人捜し(whoダニット)が主となるため、伝奇ミステリーとしての情報量が不足気味でやや物足りなさも感じました。
 

手駒が自発的に動くように仕向ける洗脳、真実の中に混ぜられる毒の如き僅かな嘘……全てが犯人不在で稼働するよう装置化された自律犯罪機関

 

今作もまたシリーズお馴染みの複数の奇っ怪な事件が絡み合い、巨大な一つの事件に発展していくという構造です。
 
ただ、今回はこれまでのようなジグソーパズルのように、欠けたピースが合わさって全体像が見えてくるというタイプとは趣向が異なり、のみで女の目を突き刺して回る通称“目潰し魔”と呼ばれるちまたを騒がす猟奇殺人と、社会から隔絶されたキリスト教系の女学院である聖ベルナール学院の関係者が次々と殺される連続絞殺事件、この二つの事件がまったく瓜二つの合わせ鏡の構造であることが判明することで、この事件を裏で操る真犯人の存在がぼんやり見えてくるというものです。
 
無関係のはずの両方の事件を調べていくとなぜか同一の関係者の名前が浮上し二つの事件がリンクし出し、調べれば調べるほどこの二つの事件はまったく同じ役割を与えられた配役がいて、かつ機械仕掛けのようなメカニズムで作動している作為的な事件であることが判明。興味の対象が事件そのものから裏で糸を引く真犯人の正体や思惑へと移っていくというトリッキーな作りとなっています。
 
しかも『狂骨の夢』と『鉄鼠の檻』というひたすら長い会話と説明尽くしで読み進めるのに苦労させられた過去二作と違い、今回は次から次に衝撃的な出来事が続くスリル重視の作風で、山盛りのボリュームの割にシリーズの中でもかなり読みやすい部類でした。
 
事件全体が真犯人の仕掛けた罠という設定で、しかもこの罠がどれだけ広範囲に及ぶのか、どの事件関係者が犯人に洗脳された操り人形なのか、そもそも罠自体が誰をターゲットにどのような理由で仕掛けられたのかすら一切不明なため、常に油断ならない心地良い緊張が持続し、謎が次々に明かされる中盤以降はノンストップで読み進めてしまう中毒性があります。
 
そして、相変わらず物語に厚みを加える凄まじい量のモチーフが幾重にも散りばめられており、布を織る機織はたおり機械で財を成した織作家という呪われた一族と糸をはき出す蜘蛛くもを引っかけた蜘蛛くも館。七夕たなばたの織姫やその元となった石長比売いわながひめ木花佐久夜毘売このはなさくやひめという機織はたおりに関連する神話の女神たち。覗きという行為によって人生が狂った猟奇殺人犯にこれまた機織はたおりと覗きが絡むツルの恩返しと、読めば読むほどよくここまで余すことなく機織はたおりと関連する説話を並べたなと圧倒されます
 
視線恐怖症の殺人犯と、機織はたおりをしている姿を絶対に覗かせないツルの恩返しなんて、どちらを先に思い付きそれに付随するアイデアをくっつけたのか分からないほどで、京極夏彦小説を読むという贅沢はこのような細部に施されたとことん気の効いた意匠の一手間が堪能できることであるとしみじみ思います。
 

シンメトリックにデザインされた京極夏彦作品らしい神経質なこだわり

 

今作は二つの事件が合わせ鏡のような綺麗に重なる構造となっており、それはそのまま犯人が行使する他者を操るテクニックが京極堂が憑き物落としで使うそれと重なる部分が多くあることとも呼応し、全体的に作品から左右対称シンメトリックな印象を強く受けます。
 
京極夏彦作品は言葉選びからテーマ性、濃いめのキャラ設定に至るまで、徹底して美的センスが行き届いたデザイナー的なこだわりを強く感じますが、今回もそこが際立ち、その部分が共通する『魍魎の匣』を強く連想します。
 
かつて戦中に洗脳の実験に関わっていたこともある京極堂と犯人の使うテクニックが似ていることはじめ、二つの事件が綺麗に左右対称だったり、小説の冒頭とラストが円環構造のように繋がっていたりと、この物語そのものが折り目に沿ってピタリと折り畳めそうという不思議な感覚でした。
 

やや伝奇ミステリーとしては味気ない終盤の追い込み

 
今回は『鉄鼠の檻』と似て、冒頭でもっていきなり犯人が犯行を告白する場面から始まるため犯人候補がかなり絞れてしまい、結果どうしてもwhoダニット的に限られた容疑者候補の中から犯人捜しをすることとなり、やや物語が狭苦しく感じます。
 
そのため、伝奇ミステリーとしてあえてどこに向かっているか分からないまま遠回りさせられることで得られる達成感や壮大なスケールは過去作ほどはありませんでした。
 
次から次に衝撃展開が連続するため非常に読みやすい反面、京極堂の憑き物落としはどうしても事件関係者の思い込みや偏見を指摘するのみで読者側まで巻き込んでくれず、ここは読み始めと後で作品への印象が激変する『鉄鼠の檻』に比べるとどうしても弱く感じます。
 
それに、これはただのワガママですが、出来ればもっと犯人が用意していた仕掛けは多く、今回の事件でたまたまうまく稼働したのがこの二つの事件だけで、実はもっと背後に数倍の眠ったままの事件が控え、それらのどのスイッチがオンになって目覚めてもこの事件は黒幕の思う通りの結末に収束したという設定にしたほうがより不気味で自分好みでした。
 

最後に

 
今回は殺人プログラムがオートで人を殺して回るという非常に特殊すぎる構造なことと、目先の衝撃展開を重視するせいで、目が回るほどの大量の伏線がラストに回収され、先入観や思い込みという憑き物を落としてくれる快感は弱めでした。
 
ただ、京極夏彦作品の醍醐味である最初は意図が読めない家名や人物名、書物に歴史、昔話に妖怪、神話の神々といったバラバラに思える点が相互に結びつき明解な像を形作っていく快感は充分堪能でき、並の小説とは別格の贅沢な読書体験が味わえます。
 

百鬼夜行シリーズ

タイトル
出版年
魍魎の匣 #2
1995年
狂骨の夢 #3
1995年
鉄鼠(てっそ)の檻 #4
1996年
塗仏(ぬりぼとけ)の宴 宴の支度 #6(前編)
1998年
塗仏(ぬりぼとけ)の宴 宴の始末 #6(後編)
1998年

京極夏彦作品

 

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