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【純文学】美人画に捧げし生涯、上村松園の涙 |『序の舞』| 宮尾登美子 | 感想 レビュー 書評

評価:90/100
作品情報
著者 宮尾登美子
出版日 1982年

小説の概要

 
この小説は、明治から昭和にかけて活躍した美人画を得意とする日本画家、上村松園しょうえんをモデルとした津也つやと、その母・勢以せいの波乱に満ちた生涯を描く小説です。
 

上村松園 『焔』

上村松園 『序の舞』

明治時代、世間から道楽と罵られても娘の才能を信じ抜き画の勉強を続けさせた母・勢以せいと、男が支配する閉鎖的な画壇がだんの中で女性であることで嫌がらせや差別を受けながらも画家としての実力だけで女性初の文化勲章を得た津也つやと、当時としては型破りな生き方を実践した二人の母子を中心とする物語です。

 
小説全体がストレートに女性差別の問題に終始し、娘をとつがせず好きなように画を習わせる母・勢以に対する親戚や世間の冷ややかな陰口に始まり、男だらけの画塾や画壇の中で激しい差別や嫌がらせを受けても屈しなかった娘の津也、二人の人生を通して心ない誹謗中傷の嵐を疑似体験するような趣向となっています。
 
明治・大正・昭和の話でありながら心ない女性差別や有名人のスキャンダルを面白がる風潮など、改善されるどころかネットのせいでむしろ悪化しているではないかと思うほど現代に通じる問題を多く孕み、今読んでも決して題材は古びていません。
 
ただ、宮尾文学としてはやや冗長で、文学として命の輝きがほとばしる瞬間を捉えたような渾身の描写はなく、相変わらず完成度は高くても他の傑作に比べ突き抜けた魅力はありません。
 

宮尾文学の喜び、巧みな滑り出し

 
この小説は出だしから考え抜かれており、母である勢以せいが家の中にいるはずの次女・津也つやが見当たらず慌てて隣近所を探し回ると、流れの砂絵すなえ描きが地面に描いた砂の絵を一心不乱に見つめる津也を見つけるという、画が好きで好きでたまらない娘に振り回される母の話という構造が冒頭に集約されており、数ある宮尾作品の中でも好きな場面でした。
 
この冒頭は、娘を探しながら島村家の家族構成や、おっとりな姉とどこまでも一途な妹の比較、明治という時代の空気に、島村家が暮らす京都の街並みや風俗、母である勢以がどのような生い立ちなのかを日常の一場面から浮かび上がらせていくといういかにも宮尾小説らしい手並みがいかんなく発揮されており、この部分だけで惚れ惚れします。
 
この何気ないように見える日常の風景一つ一つが未来の予感を孕み、それを読者に読み取らせるという工夫はこれだけで宮尾小説を読んでいるという喜びに包まれます。
 
小説の冒頭で唸る宮尾小説はほぼ外れ無しという例に漏れず、この『序の舞』という小説も最後の最後まで手抜きの一切無い心血が注がれた名作でした。
 

『序の舞』は映画化されていますが、この小説冒頭の一場面のほうがよっぽど映画的です

現代でもなお残り続ける、男と女の非対称性を暴き出す

 
この『序の舞』という作品は、宮尾作品の中では主人公の内面に深く深く潜るような純文学的な作風ではなく、明治~昭和という時代の中でシングルマザーが経験する誹謗中傷や、男が支配する画壇の中でどれほどまでに女性の肩身が狭くむごたらしい扱いを受けるのか疑似体験させるような趣向で、その部分は他の宮尾作品と比べても強烈でした。
 
明らかに宮尾登美子さん自身が作家として散々経験したであろう女性差別や、あらゆる理不尽が全て女にだけ押し付けられる社会への憤りが津也つやの女性差別への怒りを原動力に京都画壇を登り詰める生き様に反映されており、津也イコール宮尾登美子に見えます。
 
読んでいて虚しくなるのは、セクハラでも性犯罪でもなぜか被害者の女性側が攻撃されるという構造は現代の日本も根本は何も変わっていないことです。被害者を叩く人間が多い原因は公正世界仮説を持ち出すまでもなく単純に他者への想像力の欠如という一点に尽きると思います。
 
最初は遠回しに嫌みや皮肉を言ってくる近所の住人に対して「明治や大正はこれほどご近所が陰湿だったのか、昔の人は苦労したんだな」と過去の話として読んでいたものの、ふと考えるとこのやり取りはそのまま現実からネットに置き換わっただけで実は現代でも根本的には何一つ変わっていないことに気付き背筋が寒くなりました。
 
このような少しでも世間の決めた普通から逸脱する者へ浴びせられる罵詈雑言を徹底的に可視化して読者に叩きつけ社会の歪みを体験させるという手法は現代でもなんら古びていません。
 

多分、この小説は日頃から不特定多数の人間に理不尽な妬みやひがみをぶつけられる芸能人やYouTuberのような職業の人ほど共感すると思います

二人三脚が行き過ぎな母と子の関係

 
この『序の舞』は、全体の完成度は高いものの宮尾小説としては読んでいる最中何かが決定的に欠けているという違和感が拭えませんでした。
 
その原因を突き詰めて考えるとやはり宮尾さん自身の人生と上村松園の人生は重なる部分が多いため良くも悪くも入れ込み過ぎてしまったためだと思います。
 
と言うのも、津也は心が揺れ動く様が繊細に描かれるのに対し、母親の勢以せいは最初から最後までほぼりっぱな母としてしか描かれず、どうしても文学作品の主要人物としては不動すぎて深みが足りません。
 
最初は二人いる我が子を平等に愛することが出来ず、どうしても慕っていた二人目の夫の子である津也を特別扱いしてしまうという、思い入れのある子供にのみ愛情が偏る苦悩が描かれますが、その後はほぼ盲目的なまでに津也を応援する役割に徹し、血の通った人間ではなくキャラクター然として見えてしまいます。
 
このせいで宮尾文学の特徴である登場する人全員が本当にその時代その場所で固有の苦しみを抱えながら生きているというリアリティが大きく損なわれており、小説全体がやや甘ったるく感じました。
 
これは作者である宮尾登美子さんがほとんど神格化するほど愛してやまない自身の義理の母の姿を勢以せいに強く重ねているためと思われ、そのせいで母と娘の関係にほとんど変化がなく緊張感が生じません。
 
それだけでなく、世間のあらゆる津也に対する誹謗中傷もほぼ母親の勢以せいが防波堤となり防ぎつつ、傷ついた津也の心のケアもするため津也への精神的な追い込みが足りず、宮尾小説にしては主人公がフワフワして見えます。
 
結果、母と娘が時にはぶつかり、時には手と手を取り合って世間の荒波に立ち向かうというよりは、異常なほど親離れ・子離れが出来ない不健全な関係にも見えてしまい、この常にベタベタと仲の良すぎる母と娘の関係はどうしても好きになり切れません。
 
ただ、映画版はここが意図的に修正されているのに、結局原作のほうが深みがあり、この違和感も込みで『序の舞』という作品なのだと最後は納得しました。
 

可もなく不可もない映画版

 
この『序の舞』という作品は小説より先に映画版を見ました。最初に映画版を見た時はなんの先入観も持たず単純にストーリーを楽しめたのに、原作小説を読みもう一度映画版を見直すと今度はただの駆け足のダイジェストにしか見えず、なぜこれを面白いと感じたのか感覚を思い出せなくなります。
 
余談ですが、映画版を監督している中島貞夫と言えば『真田幸村の謀略』という真田十勇士の一人である猿飛佐助が実は宇宙人で、宇宙人ゆえに超能力が使え、それを忍術に見立てて大坂の陣で徳川家康と戦うというトンデモ特撮時代劇を撮っており、この映画が衝撃的だったせいであまり真っ当な映画監督という印象がありません。
 

 
原作小説は(文庫版)約750ページとボリュームがある上に、主人公津也つやの人生を70年以上に渡って描くためどうやっても映画というよりはドラマ向けの題材で、そもそも映画化は無理があります。
 

原作小説は大河ドラマ化した『天璋院篤姫』よりページ数が多く、そのまま大河ドラマにしても大丈夫な情報量です

 
映画としてはやたら濡れ場に力が入っている以外は映像・脚本ともに可もなく不可もないといった程度の出来でしかなく、他の宮尾小説を原作とする映画群と比べても突出した魅力はありません。
 
しかも、原作小説の肝である激しい女性差別描写がほとんど排除されており、原作小説が描こうとするものと映画で描かれるものはほぼ別物です。
 
ただ、映画版が特別出来が悪いというわけではなく原作小説のあらゆるこだわりを省略し、文学的に優れた箇所も根こそぎ削って無理矢理2時間20分の尺に押しこんでいるため、そもそも映画化そのものに無理があるとしか思えません。
 
どれほど無理矢理な映画化なのかと言うと、タイトルが『序の舞』ですが、『序の舞』という日本画は上村松園が50代の後半に描いた画で、この映画版はそもそも20代で終わるため映画の物語内で肝心の『序の舞』は一切登場しないというデタラメさです。
 
ハッキリ言って映画より原作小説のほうが10~20倍くらい面白いので、どうしても映画版は原作のオマケの域を出ません。
 

最後に

 
この『序の舞』という小説は、宮尾小説の中ではテクニックがずば抜けているとか、人間を精神的に追い込み続けてこの世の生き地獄を見せるといった情け容赦のない厳しさ、人間が普段ひた隠す心の深奥に隠された感情を言葉で暴くといったことをやってのける傑作群と比べるとこの小説独自の魅力がなくやや見劣りします。
 
しかし、宮尾小説の最大の魅力と言っても過言ではない大切な人との死別を多く経験し徐々に諦観の域に達する晩年の味わいは格別で、この大河ドラマの最終話付近のような濃厚な死の気配を毎作品堪能できるだけで宮尾小説を読んで良かったと思えます。
 
 

 

 

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