著者 | 宮尾登美子 |
出版日 | 1977年 |
評価 | 95/100 |
オススメ度 | ☆☆ |
ページ数 | 約336ページ |
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小説の概要
この作品は、宮尾登美子さんのデビュー作である『櫂 』のスピンオフ小説です。
『櫂』の主人公・喜和 の夫で女衒 を営む岩伍が語り手となり、過去に体験した芸妓 娼妓 (芸者)が関わる奇妙な事件を振り返る回想録という体 になっています。
長篇ではなく独立した4つの短篇からなり、『櫂』とのストーリー的な繋がりも最小限なためこちらだけ読んでも特に支障はありませんが、出来れば『櫂』を先に読んだほうが面白さが倍増します。
女を遊郭や料亭に紹介する女衒という特殊な職業ゆえに体験した、ヤクザ同士で一人の芸者を奪い合う暴力沙汰や人情沙汰、身売りの際に前借金 だけ盗んでトンズラしようとする詐欺師を捜索するサスペンス展開、かつて日露戦争を共に闘った戦友が満州で謎の出世を遂げるも徐々にドス黒い成り上がりの秘密が明らかになっていく戦中の薄気味悪い話など、ハードな純文学だった『櫂』とは異なり娯楽要素が強めで読みやすさはコチラのほうが遙かに上です。
単体の作品としても完成度が高い上に、死と隣り合わせの女衒という職業に付きまとうトラブルや、岩伍という男がいかに男気に溢れた侠客 なのかという『櫂』での暴力夫とは真逆の顔を描くことで『櫂』への印象を変質させるスピンオフとしても出来が良く、文句の付けどころがない傑作でした。
裏社会を巣とする住人の目線
この小説は『櫂』のスピンオフですが、まず『櫂』を先に読んでいる場合、主人公の喜和 に散々暴力を振るっていた夫・岩伍を語り手にするという設定に最初は嫌悪感しかありません。あれほど理不尽な目に遭った喜和の話を体験した後に、今度は妻に暴力を振るっていた夫側を主人公とする話を書くという大胆さに驚き、しかもその嫌悪を軽く乗り越えるほど内容が面白いため二度衝撃を受けます。
この小説と一番コンセプトが似ていると思う作品は漫画の『闇金ウシジマくん』です。どこがそっくりかというと、切羽詰まって借金を頼みにくる人間が自分が今どれくらい危機的な状況に陥っているのかイマイチ理解しておらず、どこかのほほんとしている様を裏の世界に生きる人間の目から観察するという視点の置き方です。
そのため『闇金ウシジマくん』の、闇金に金を借りに来る人間の生活態度のだらしなさを情け容赦なく描くという作風が好みであればこの小説も高確率で好きになります。
普段は水商売の人間やそれに関わる人間を見下しているのに、いざ自分が金銭に困ると家族を身売りさせようと手の平を返す者たちの醜悪さや、裕福だった家庭が一転経済的に厳しくなり娘を身売りさせているにも関わらず一向に生活水準を落とそうとしない舐めた態度、娼妓を人間ではなく性欲を発散するための物としか扱わない人間性が欠如した遊郭の男性客など、裏の社会で生きる者の目を借り、表社会の人間が時折見せる幼稚さや未熟さ、薄汚さをありありと浮かび上がらせる様は、さすが人の業を描くことに長けた宮尾登美子小説の神髄だなと思います。
現実すら凌駕するほどの情報量で大正・昭和を描き切った『櫂』と同じく、こちらも本当に過去に起こった出来事を語っているとしか思えないほど話に現実味があり、読んでいて作り話っぽさがノイズになることは一切ありませんでした。毎度のことながら、宮尾登美子さんのリアリティに関するバランス感覚は並みの作家とは次元が違う域に達しており、登場人物は全員その時代を実際に生きていた人としか思えません。
ただ、『櫂』と異なり講談を意識したのか、口語体のような岩伍が読者に語りかけるようなやや軽めの文章になっており、娯楽小説としては読みやすい反面、喜和の内面にどこまでも深く潜っていく『櫂』に比べると文章の深みという点においては数段劣ります。
これは岩伍のサバサバした性格を文体で表現するための工夫に見え、仕方ないと思います
夫婦茶碗ならぬ夫婦小説
この小説の柱となるのは、女衒という職業ゆえに巻き込まれる金や暴力、人情が絡む事件の顛末ですが、それ以外に『櫂』という作品のスピンオフとしても優れており、この二冊を読むことで喜和と岩伍という夫婦それぞれの胸中を平等に覗くことが出来ます。
同じ宮尾登美子小説である『天璋院篤姫』の中で「一方を聞いて沙汰するな」という、意見が対立する者たちがいたら片方の言い分だけ聞いて判断するなと言う薩摩のことわざが登場しますが、この『岩伍覚え書』がまったくそのものズバリの小説となっています。
一方的に喜和側の事情だけが語られた『櫂』に対し、今度は岩伍側の事情を語る小説となっており、二冊読むことで夫婦それぞれの主張が出揃い、ようやく公平な見方が出来るようになりました。
『櫂』と『岩伍覚え書』、この二冊を読むとやはりあの夫婦は夫婦になったその時からまったく互いを理解し合えておらず、『櫂』のような結末に至るのは必然だったという結論に至ります。
互いに普段見ている風景が違うことが分かっておらず、しかも相手の目に映る世界を互いに想像する気すらなく、プライドを持って女衒という稼業に打ち込む岩伍に対し、それを汚らわしい職業としか見ない喜和と、不器用ながら必死に岩伍のために苦労を耐える喜和に対し、自分の理想とする器用で機転が利く妻にはほど遠いからと惨い仕打ちをする岩伍と、夫婦が決定的にすれ違っていく過程が目に浮かび、『櫂』をより深く理解できるようになりました。
この二冊が、内向的で自分の意見を主張しない喜和と、プライドが高く妻より世間体が大事な岩伍というそれぞれの内面を反映させたような内容となっており、それゆえにこの二人が理解し合うこともないという残酷な事実も突きつけてくるため、より『櫂』の救いの無さが増幅されます。
この『岩伍覚え書』がスピンオフ小説として凄いのは、『櫂』で起こった出来事に対する説明臭い補足を入れず、ただ岩伍という人の価値観を描き抜くだけで『櫂』で語られた壊れた夫婦の物語をよりえげつなく掘り下げてしまう構造で、やはり宮尾登美子さんは類い希なる天才作家だなと思います。
最後に
岩伍が語る手に汗握るサスペンスフルな事件の顛末を楽しむ娯楽小説としても、『櫂』をより深く楽しむためのスピンオフ小説としても、裏社会を生きる者からすると、表社会でのうのうと暮らす者たちがどれほど欺瞞に満ち、人として未熟に見えるのかということを突きつけられる社会派小説としても、どんな読み方にも耐えられる大傑作でした。
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