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記憶を巡る群像劇 『海鳥の眠るホテル』 著者:乾緑郎 〈書評・レビュー・感想〉

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評価:80/100
作品情報
著者 乾緑郎
出版日 2012年9月

小説の概要

 
 この小説は、美術モデルの仕事をする写真家志望の女と、妻がアルツハイマー病となりその介護で精神が追い詰められていく初老の男、廃墟となったホテルに住み着く記憶喪失のホームレスと、三人の人生と過去の記憶が交錯することで、廃墟のホテルに隠された秘密が明らかになっていくサスペンス群像劇です。
 
 乾禄郎作品で何度も繰り返される、過去の記憶に囚われ苦悩する者たちの人生模様が淡々と語られるのみで、全体としては地味な小説です。
 
 本人が封印した記憶が徐々に蘇ってくるという点は『完全なる首長竜の日』とほぼ同じで、乾禄郎さんの記憶や無意識を好んで描くシュールレアリスム的な作家性が濃厚に出ている小説でもあります。
 

ゲームで言うと様々な死者の生前の記憶に触れていく『エコーナイト』シリーズに似ていますね

記憶の作家、乾禄郎の本領

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 この小説は、登場人物たちが抱える記憶をのぞくことで、それぞれの記憶が混じり合い、どの記憶が誰のものなのか曖昧になっていくという、過去作で言うと『完全なる首長竜の日』と似た作りです。
 
 『完全なる首長竜の日』が昏睡状態の患者と意思疎通するセンシングを繰り返すことで現実と夢の区別が付かなくなっていく倒錯感を売りにするなら、コチラは複数の人物の視点を行き来する中で、各々の記憶が重なり、徐々に溶け合っていくことで、個人の記憶が全体の共有記憶になっていくような儚い余韻の群像劇が魅力です。
 
 ストーリーは日常を積み重ねるだけのシンプルさながら、作中で触れるノアの箱船に象徴される夫婦や恋人といった男女の数奇な巡り合わせや、繰り返される浮気など、様々なワードやシチュエーションが一つの記憶から別の記憶へ波紋となって広がっていくような器用な語りで、デビュー間もない頃の作品ながらすでにベテランの風格すら漂っています。
 
 群像劇も誰かの人生で選ばれた最悪の選択が、別の人物では異なる選択を選ぶことで回避されるなど、説明的にならず読者が起こった出来事とその繋がりを頭で想像し補うことで初めて群像劇として機能する高度なアプローチです。この、単体としては弱々しい記憶が、他の記憶と並ぶことで初めて輝きを増し、互いに価値を高め合う様は圧巻でした。
 
 乾禄郎さんは劇作家でもあるためか、非常に群像劇の扱いがこなれており、登場人物は特徴もさほどない、どこにでもいるようなありふれた人間なのに、その人の記憶を探ることで隠された別の一面が見えたり、ある人の記憶から別の誰かの異なる顔が浮かびあがったりと、思考が常に刺激され続け人物への興味が尽きません。
 
 本作で最重要のテーマでもある記憶の扱い方も巧みでした。最初は自分の心を蝕んでいた過去の記憶が、ある瞬間には自分の人生を肯定してくれる輝かしい記憶に変貌したり、自分だけの記憶だと思っていたものが実は別の誰かの大切な記憶でもあると知り相手と心の距離が近づいたり、お互いにとって甘い記憶だと信じていたものが実は自分の勝手な思い込みだったりと、記憶を用いて読者を揺さぶり続ける手腕は見事です。
 
 乾禄郎さんは、人と人とを分断する境界を消すことで単色だった色が混ざり合いカラフルな模様となるような巧妙な群像劇を書くのが得意な作家なのだと本作を読んで確信しました。
 

『ツキノネ』も繊細な群像劇としての一面があります

生きた人物、生きた物語

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 本作は、乾禄郎作品の中でも設定や物語が極端に地味なため、その分登場人物の自然さがより際立って見えます。
 
 こんな人間いないだろうという嘘くさい登場人物はほぼ皆無で、キャラクターも自然体で演技っぽいセリフも極力排されており、ここも劇作家で現実の俳優が喋って違和感がないような台本を書いてきたキャリアの影響が窺えます。
 
 自分が初めて読んだ小説は『機巧のイヴ』でしたが、あれは乾禄郎小説の中では不自然なまでにキャラクターがデフォルメされた異例な作品で、『完全なる首長竜の日』や『海鳥の眠るホテル』の地味な人間描写のほうがより純粋な作家性が透けて見えます。
 

 
 相変わらず職業描写からリアリティを構築する手腕も冴えており、美術モデル派遣事務所の仕事内容や、ドイツ語の技術翻訳業(商品のマニュアルや機械の仕様書)といった見慣れない職業もしっかり調査・取材をしている安心感があり、読んでいてリアリティが欠如し現実に引き戻されるような隙はほぼありませんでした。
 

グランドホテル形式だからホテル?

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 本作で最も不満なのが、肝心の廃墟となったホテルが特に話の本筋と関係しないこと。
 
 無理矢理に肯定するなら、群像劇スタイルが映画の『グランドホテル』と似ているからとか、高台にあってしかもかつての記憶が残留しているからスティーブン・キングのホラー小説(もしくはキューブリックの映画)『シャイニング』オマージュなど、こじつけることは出来ますが、単純に小説内で秘密をホテルに隠すという設定は不自然でしかありませんでした。
 
 これほど記憶に関する話で全体を統一しているのに、特に誰の記憶とも密接な関係がないホテルが話の中心になる展開に必然性があるようには到底思えず、群像劇としては非常に面白いのに、ホテルに集約されるという構造は疑問符しかありません。
 
 乾禄郎さんはこのような前半で物語の鍵として語られた重要な場所が、終盤になると実は大した意味は無かったという雑な処理をされることが他の作品でも多くあります。そのため、物語の大枠をガッチリ決めてから書くのではなく、書きたいシチュエーションや設定を膨らませていくタイプの作家なのかなと思います。
 
 そのせいで、序盤~中盤までは毎回楽しいのに、終盤に訪れる薄味の幕引きにガッカリすることが多々あり、読み終える頃には評価がガクッと下がってしまうのが残念でした。
 

最後に

 
 派手な展開に頼らず、一人一人の些細な日常や地味な記憶の蓄積だけで成立される群像劇は楽し過ぎてあっという間に読み終えてしまいました。
 
 ただ、相変わらず他の作品と同様に余韻はあっさりで、そこが惜しいところです。記憶がテーマの小説の割にこれを読み終えてからずっと記憶し続けるのは困難という、記憶に関する物語と、それを読者に強く記憶させることは別の問題なのだと分かる皮肉な小説でもあります。
 

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