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村上海賊の戦国組織マネジメント 「秀吉と武吉 -目を上げれば海-」 著者:城山三郎 〈書評・レビュー・感想〉

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評価:85/100
作品情報
著者 城山三郎
出版日 1986年

短評

 
 戦国時代を舞台に、瀬戸内海の海賊である村上水軍(村上海賊)総大将、村上武吉たけよしの生涯を描く歴史・時代小説。
 
 毛利の水軍としても活躍した村上海賊の勇姿を描くエンタメ要素よりは、海賊の総大将として血の気の多い部下達をまとめ上げどのように組織を維持するのかという経営論が中心のややお堅い内容。
 
 村上海賊だけでなく、毛利家の知将である元就もとなりや息子隆景たかかげの組織のトップに立つ人間としての優れた才覚や、人たらしで見る見るうちに勢力を拡大していく豊臣秀吉の人使いのうまさなど、戦国武将たちを組織の経営者として捉える視点も楽しめる。
 
 歴史の解説も非常に細かく、これを一冊読むと毛利家を中心とした中国地方の勢力の移り変わりが勉強でき何から何まで役立つ一冊。
 

組織を率いる者の重責がこれでもかと詰まった陰鬱な歴史小説

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 この小説は、戦国時代に瀬戸内海で活動した村上海賊の中でも、能島のしまを拠点とする能島村上の総大将・村上武吉の生涯を描いた限りなく伝記に近い歴史・時代小説です。
 
 村上海賊が毛利元就に味方し毛利軍を勝利に導いた厳島いつくしまの戦い(1555年)から始まり、秀吉の天下統一を経て、徳川家康率いる東軍と、能島村上が味方する毛利輝元てるもと率いる西軍に別れての関ヶ原の戦い(1600)まで、約50年に渡って村上武吉の半生を追う内容となっています。
 
 この作品の魅力は何といっても組織を束ねる者の重責や、理想的なリーダーとはどのような者か、有能な部下の育成方法、組織が高いモチベーションを維持するためには何に気を付けるべきかという、戦国時代の武将たちに経営論を当てはめるというアイデアの妙です。
 
 それ以外も、自分の力ではどうすることも出来ない情勢の変化にどう向き合うのかという課題や、新しい時代に自分たち古いタイプの人間の居場所が存在しないという絶望など、全編にどんよりと重苦しさが漂い続けます。
 
 それに、『光圀伝』などの伝記小説によくある、史実に基づいているゆえに、親しい友人や自分の妻や息子はじめ家族が次々に世を去る別れの瞬間に何度も何度も立ち会わされるという点も相まって全体的に明るさとは無縁の陰鬱な作風です。
 

 
 海賊としての自由気ままな生き方などといった生易しいものはなく、常に組織のトップとして部下の管理や育成、次から次にひっきりなしに起こり続けるトラブルの処理、戦友との別れ、海賊業の前途に待ち受ける暗い未来に怯え続ける日々と、読んでいて主人公の武吉に感情移入しキリキリと胃が痛くなります
 

『進撃の巨人』で例えると、優秀な部下から次々に巨人に喰われ弱体化の一途を辿る調査兵団を何とか維持するだけでも大変なのに、その上、秘密主義の王族・貴族と政治的な駆け引きをし、その飼い犬である憲兵団や暗殺者と人間同士で殺し合いながら、味方の中に敵の内通者がいるかどうか目を光らせないといけないエルヴィン団長が主役のような話ですね

 
 『官僚たちの夏』の作者だけに、無能なリーダーのせいで組織が腐敗の一途を辿る深刻さや、組織内の人間関係の軋轢あつれきの生々しさ、上に楯突く人間を飼い殺しにするといった陰湿な描写のキレの良さにやられます。
 
 小説の冒頭が、武吉が毛利かすえかどちらに味方するかで天下の潮目が変わるという最も村上海賊に勢いがあった状態から始まり、その後は転落の一途を辿るという構成のえげつなさも相まって、読後はげっそりとするほど苦い余韻が残ります。
 

毛利家が分かる丁寧な歴史解説

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 この小説は全編に渡って組織が腐敗し、勢いがあった者たちが徐々に衰退していくビターな作風が魅力ですが、それ以外も歴史解説が非常に丁寧で、特に中国地方の勢力の移り変わり部分は大変勉強になりました。
 
 関ヶ原の戦いで西軍の総大将がなぜ秀吉の重臣でもない、地理的にあまり関係のない中国地方の毛利家なのかずっと疑問だったのが、この小説を読むことで秀吉と毛利家の関係が把握でき「なるほどこういう経緯で毛利輝元が西軍の総大将になるのか!!」と腑に落ちました。
 
 それと同時に、毛利家の関係者である小早川秀秋がどのように徳川に寝返り、西軍の敗北に繋がったのかという流れも理解でき、戦国時代の毛利家の立ち位置を学ぶにはかなり適した教材だと思います。
 
 さすがに約50年のスパンで中国地方を舞台に話が続くので、大河ドラマを見るような感覚で、大名の親子関係や親戚関係、武将の縦や横の繋がりも物語としてすんなり頭に入ってくるため、単純に歴史を勉強するために読んでもお釣りが来るほどです
 

この、物語の流れで毛利家の動きを理解させる手腕は、下手な戦国時代の解説本を読むより深い理解に繋がりますね

タイトルと内容の深刻な齟齬

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 この小説で最も残念な部分はタイトルと内容が噛み合っていないことです。
 
 『秀吉と武吉』となっていますが、豊臣秀吉と村上武吉が絡むのはほんの一瞬で、それ以前も以後も別に両者ともに相手をさほど意識もしておらず、それどころか終盤に突入する前に秀吉はあっけなく死亡し、怒濤の終盤を読み終える頃には秀吉の存在がほぼ薄れています。
 
 理由は、特別にこの二人が互いの存在に想いを馳せることはなく、単なる自分をおびやかす敵の一人程度の認識で、大して二人の間で感情の摩擦が発生しないためです。
 
 特に秀吉は単に老獪ろうかいなだけで組織の長である重圧や、自分の跡取りとしては頼りない子供に対する不満といった人間臭さが露呈する場面が無く、その部分がしっかり描かれるためつい思い入れを持ってしまう村上武吉や毛利家の面々に比べると一段印象が薄くなります。
 
 村上海賊と同じくらい毛利家には贅沢にページが割かれるため、多分毛利元就の二人の息子である小早川隆景と吉川元春が毛利両川りょうせんと呼ばれたのと引っかけ、タイトルをムリヤリ秀吉と武吉で両吉にした結果生じた違和感だと思います。
 
 それに、この小説は書き下ろしではなく朝日新聞の朝刊に連載された連続小説なので、本来ならもっと二人を中心にしていたのに、連載途中から予定がズレ、二人が大して絡まない展開になってしまったのではないかという疑念も残ります。
 

この小説の内容ならむしろ『毛利と村上』のほうがしっくりきます

最後に

 
 小説から受ける印象とタイトルがちぐはぐ過ぎるという問題や、約50年という時間の流れは歴史的には理解できても、文章としてはあれから何年経ちましたという説明が何回も繰り返されるのみで時間が過ぎ去っていく感覚は薄いなど、細かい不満は数多くあります。
 
 しかし、組織の上に立つ人間が背負う責任と誰にも相談できない孤独や、希望の見えない未来に苦悩する様は時代を超えた普遍性があり、栄華を誇っていた集団が徐々に枯れていく『平家物語』のような無常観も心に沁みると、大変に味わい深い作品でした。