著者 | 小松左京 |
出版日 | 1977年 |
評価 | 90/100 |
オススメ度 | ☆☆ |
ページ数 | 約267ページ |
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小説の概要
この作品は、
「岬にて」
「ゴルディアスの結び目」
「すぺるむ・さぴえんすの冒険 -SPERM SAPIENS DUNAMAIの航海とその死-」
「あなろぐ・らう゛ -または、こすもごにあⅡ-」
という4作からなる連作短篇小説です。
連作短篇と言ってもそれぞれの短篇に直接的なストーリーの繋がりはなく、宇宙と人間というテーマ性が共通していることや、ブラックホールが絡む話が多いなど、単体では感じ取れなくても4つ全ての短篇を読むと繋がりが薄っすら分かるといった趣向が凝らされている程度です。
単純にストーリーが面白いのは「ゴルディアスの結び目」と、次いで「すぺるむ・さぴえんすの冒険 -SPERM SAPIENS DUNAMAIの航海とその死-」くらいで、他の二作は宇宙に対する思索に耽 るようなやや哲学的な内容に振れており、読んでいて先が気になって没頭するといった類のものではありません。
ただ、どの話もSFを触媒 にして宇宙観と人間観に変化を生じさせるような鋭い切り口のものばかりで、SF短篇集としては完成度が高い一冊でした。
宇宙と肉薄したい老人たちが辿り着く孤島「岬にて」
とある孤島でドラッグ三昧で暮らす世捨て人のような老人たちと、そこを訪れた物書きの若者との不思議な交流を描いた話。
この「岬にて」は、記憶喪失の主人公の過去が明らかになっていくサスペンスと思わせておいて、地学や麻薬の歴史、宇宙観、美や老いに対する作者の考え方と、広範囲に渡る雑学が披露される、小説というよりエッセイを読んでいるような感覚に陥る一作でした。
中でも出色なのが、人間の手が加わっていない地表が剥き出しの原初の場所は宇宙に近くそこでは人間が正しく老いることができるというユニークな主張や、表面上の“様式”や“意味”を捨てた純粋な美のみを追求した音楽の凄みについての持論で、読んでいてハッとする箇所が多くあります。
最初に読んだ際は、取り留めのない雑学に終始する変わった短篇といった印象でしたが「あなろぐ・らう゛ -または、こすもごにあⅡ-」を読むと、何かを見て聞いてそれを美しいと感じる心を獲得できただけで人間は宇宙の中で特別な存在なのだというメッセージが加わり、一見美に耽溺する老人たちの営みが怠惰に見えても、それこそが人間的であるという力強い主張が読み取れるようになりました。
このような、単体で読んでも見えないものが他の作品を読んだ後だと読み解けるようになるという仕掛けがどの話にも施されており、最後まで読み終えて初めてこの短篇集が連作短篇であることの意味が分かります。
我が身を削って書かれた悲痛の物語「ゴルディアスの結び目」
機械を用いて人間の精神に潜る“サイコ・エクスプローラー(探検家)”である主人公が、とある凄惨な事件の被害者であり、昏睡状態のまま強力なポルターガイスト現象を引き起こす少女マリアの精神に潜る。
話の冒頭からマリアと主人公のいた部屋が謎の球体になり、球体が縮小し続けているという呆気にとられる結末を先に見せ、なぜそのような状態になったのか話が過去に遡 るという先が気になる工夫に、マリアの精神の中を奥へ奥へと探索していく過程で明らかになる衝撃の事実と、さすがに表題作だけあり、全4作の中でもダントツの完成度です。
この短篇はNHKの『100分de名著』という番組の小松左京特集の回でオチを先に見ていたにも関わらず、やはり実際に読むと小松左京節 相まってオチを知っているというマイナス要因など吹き飛ばすほどの楽しさでした。
ストーリーが秀逸なのは当然として、この「ゴルディアスの結び目」で最も衝撃的だったのが、新装版の解説を読むと実はマリアが体験した凄惨な事件というのは小松左京自身が過去に体験した出来事が元になっているという驚愕の事実のほうです。そのためフィクションにしてはダンテの『神曲』のような愛する者を想い我が身を削って書いたような痛々しいとすら感じるほどの迫力が漂う理由とその地獄めぐりのような作風も腑に落ちました。
小松左京作品にうっすら漂うダンテの『神曲』っぽさはここに原点があるのですね
この短篇も、全4作を読み終えると「あなろぐ・らう゛ -または、こすもごにあⅡ-」に登場する宇宙卵を想像させる球体のモチーフだったり、ブラックホールが重要な設定として登場したりと、他の作品と反響する要素があり、最初に読んだ時と全4作読み終えた後だと見え方が変わるという趣向が魅力的でした。
意外な展開の連続が快感「すぺるむ・さぴえんすの冒険 -SPERM SAPIENS DUNAMAIの航海とその死-」
人類で最も優れた知性を持つ男に、夢の中で何者かが全人類の命と引き換えに宇宙の秘密と真理の全てを教えてやろうと取引を持ちかけてくる。
この小説は次から次に意外な展開の連続で「ゴルディアスの結び目」に次ぐ楽しさでした。
視点の置き方が非常に計算されており、最初は主人公のみに範囲を絞った視点から始まり、それが徐々に引いていって話の全貌が明らかになっていくとスケールが拡大する興奮がある上に、ミステリーの謎解きにも近い快感が味わえ、他の哲学的思索に耽る時間が長い短篇に比べ、オーソドックスに読みやすい一作です。
この話も「あなろぐ・らう゛ -または、こすもごにあⅡ-」を読むと、この話のラストと、向こうのラストのオチと視点がひっくり返ったような倒錯感があり、単体で読んでも楽しい上に、他の作品と比べると別の見方も生まれ、二度おいしい短篇でした。
美とは極めて特別な感覚「あなろぐ・らう゛ -または、こすもごにあⅡ-」
とある空間にいる名前のない若い男女が、互いを激しく愛し合いながら、姿が見えない神のような存在と自然や宇宙、生命の美について語り合う。
この話は、冒頭が男女の過剰なまでに激しいセックス描写から始まり、しかも絡み合う描写が尋常ではなく仰々 しいため何事かと驚き、読み進めるとそういう話なのかと納得しました。
タイトルのコスモゴニー(宇宙起源論、もしくは宇宙進化論)の意味が分かると行為が激しいことの必然性が分かります
この短篇は、人間は美しいという感覚を獲得できたのだから宇宙の知的生命体の中でも特別な存在であるという力強いメッセージが心に突き刺さりました。
普段は美しいものを見てそれを美しいと感じることがいかに素晴らしいことなのか気にもとめなかったのが、この短篇を読むと特別なことなのだと気付くことができ、宇宙と人間というサイズがまるで異なるものを並べて語ることができるSFのスケール観とはこのように活用するのかと学ぶことができます。
正直ストーリーはあってないようなもので退屈ですが、メッセージ性という点では普段意識しない感覚を呼び覚ましてくれるためこの短篇が最も好きでした。
最後に
どの短篇も哲学的で雑学部分の情報量が多く、非常にまわりくどい作風な上にラストがスッキリしないものだらけなど、かなり小松左京節 の癖が強く、好き嫌いが激しく別れると思います。
ただ、小松左京の作風や宇宙観・人間観が肌に合うなら深くSF酔いできる濃い作品だらけで、読んで絶対に損はありません。
小松左京作品
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