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めくるめく螺旋の誘惑 『上弦の月を喰べる獅子 上・下』 著者:夢枕獏 〈書評・レビュー・感想〉

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評価:100/100
作品情報
著者 夢枕獏
出版日 1989年8月

小説の概要

 
 この作品は、この世のあらゆるものに螺旋らせんを幻視してしまう螺旋らせん蒐集しゅうしゅうのカメラマン三島草平と、イーハトーブの詩人・童話作家である宮沢みやざわ賢治けんじの二人が、螺旋に導かれ不思議な世界を旅するSF小説です。
 
 地球と月という二つの天体が行う公転運動や、アンモナイトやオウムガイの殻が持つ渦巻き模様、遺伝子の二重螺旋構造に、螺旋蒐集家と詩人、二人の魂が一つの肉体に宿る双人という設定など、作品内の全てに大小様々な螺旋モチーフが徹底されているのが特徴で、そのこだわりぶりに舌を巻きました。
 
 この小説のストーリーは、螺旋蒐集家のカメラマンと、『銀河鉄道の夜』などでお馴染みの詩人・宮沢賢治が一つの肉体に宿り、ある問いに答えるため、この世なのかあの世なのか現実なのか夢なのか判明しない世界にそびえ立つ高い山をひたすら登り続けるという、あらすじを説明しても意味を成さない抽象的な物語で、実際に触れてみないと凄さが理解できません。
 
 これでもかと想像力を掻き立てる映像化が絶対に不可能であろう奇っ怪な螺旋イメージの連続に、感覚器官がとろけるような言葉の魔力に絡め取られる快感と、個人的に小説に求めるあらゆる要素を完璧に満たした作品でした。
 
 仏教やヒンドゥー教の宇宙観を元にした壮大な物語であると同時に、作者が自分の内面をさらけ出す私小説のような親しみやすさもあり、好きな人間はトコトン好きな突き抜けた奇作です。
 

作者と物語、幸福なる螺旋

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 この小説最大の魅力は、夢枕獏という作家と物語、この二つがいささかも分離しておらず、まるで半身であるかのように、互いに互いを求め合いながらクルクルと二重螺旋を描く構造です。
 
 この小説は作者が自らのルーツを見つめ直すような自己言及的な作品であり、そして何よりも作家として己の限界に挑みそれを突破し自分の理想とする作家像を獲得する物語でもあり、作者そのものと切っても切り離せません。
 
 そのため、これは作者の物語であり、読者が入り込む余地がなく、ひたすら「こんなぶっ飛んだ凄い小説を書いてやったぞ、凄いだろ!!」と一方的に自慢されるような心地であり、その勝ち誇ったような誇らしげな態度が何よりも快感です。
 
 夢枕獏という作家でないと思い付かない、夢枕獏という作家でないと成立しない、夢枕獏という作家でないと到達できない唯一絶対の物語に挑み、それを我が物にしてしまった粘り強さは感動的でした。
 
 自分の進退に悩む作家が、物語と向き合うことで自己と対話し、本当に自分が書きたい物語は何かを探求し、ついにはその輪郭を掴み、この小説に仕上げてしまうという、その一連の葛藤や想いを一切包み隠さずさらけ出しており、主人公の苦悩はそのまま作者の苦悩であり、あらゆる苦悩からの解放は、そのまま作者の創造と進化の喜びと重なります。
 
 螺旋蒐集家と詩人、二人の魂が宿った双人がなぜかは分からないが山を登りたい、頂上に辿り着きたい、そして自分に課された問いに答えたいという曖昧なのに確固とした動機で突き進む物語の魅力と、この小説を執筆することで過去の自分を吹っ切り作家として次のステージに進みたいという熱意がシンクロし、人間の進化を描く物語が最終的にこの物語を書き終えた作者の進化に帰結するという構造は圧巻でした。
 
 宇宙について描かれた壮大なスケールの物語であると同時に、作家のプライベートな動機で書かれた極めて小さな物語でもあり、それらが互いを害することもなく完璧な調和を見せる様は、まさに奇跡の螺旋だと思います。
 

読み始めると止まらない

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 この小説は、作家と物語が融合し分離できない完璧な二重螺旋構造という部分が最大の魅力ですが、単純にサスペンス小説としても一級の面白さでした。
 
 個人的な好みとしては、もっと難解で読者側に読解力を求めてくるような作りで良かったものの、このような抽象的な上に造語だらけのストーリーを失速させず最後まで読ませ切った作者のバランス感覚もそれはそれで見事と感服します。
 
 サスペンス展開も、一過性の刺激だけでは決して終わらず、多くは作品を貫く螺旋モチーフを補助するように、ついとなるイメージの反復が多く、作品全体の螺旋構造がより引き締まる効果を生み、確かな戦略を感じました。
 
 この小説は読んでいてずっと幸福感に包まれっぱなしでしたが、その要因の一つは、先が気になって仕方がないサスペンス小説としての確かな中毒性もあると思います。
 

あとがきすらも螺旋の一部

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 この小説は、あとがきで作者が自作の解説を行っており、あとがきを読めば、この話がどういう意味を持つのか、どのような動機や経緯で執筆されたのか全ての謎が明かされます。
 
 このあとがきを読み作者がこの小説に込めた想いを理解することで、作者と物語の螺旋が完成すると言っても過言ではないほどです。
 
 自作解説で物語を包むベールが剥がされたところで物語そのものの魅力はびくともせず、これは自作解説に耐えられるだけの強度を持つ物語を書き上げた作者の勝利だと思います。
 
 自分もこのあとがきを読んだことで、この作品に対する仮説の空白にピースがハマったような快感を覚え、元々コンセプトが完璧だと思えていた話により一層の深みを感じられるようになりました。
 

最後に

 
 元の小説が抽象的なので、小説との螺旋の関係をイメージし感想もなんとなく言いたいことが分かるというギリギリの抽象性を意識して書きました。
 
 一見難しそうな小説に見えて、実際は作家が自分の書くべき物語に出会いそれを妥協することなく書き上げたこの上なく幸せな記録でしかないため、余韻は極めて爽やかです。
 
 正直、螺旋虫や螺旋師といったなんとなく螺旋と呼称しているだけのややこじつけ感が強い設定など、小説としての完成度だけ見ると若干物足りなさを覚える箇所もあります。
 
 しかし、その作家でないと絶対に書けない、その作家の内側からしか生まれることがない、どこまでも私的な動機が昇華されたような物語に出会いたくて小説を読んでいるということを思い出させてくれる、そんな幸福な作品でした。
 

夢枕獏作品

 
 
 

 

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