トレーラー
評価:70/100
公開日(日本) | 2016年11月23日 |
上映時間 | 133分 |
映画の概要
この作品は、1926年、禁酒法時代のアメリカを舞台にした『ハリー・ポッター』シリーズのスピンオフ映画です。
ハリーたちがホグワーツ魔法魔術学校で使っていた魔法動物に関する教科書の作成者であるニュート・スキャマンダーという魔法動物学者(&魔法省の役人)の若き日の旅を描くという内容となっています。
デヴィッド・イェーツ監督の長所と短所が色濃くストレートに現れてしまっており、つまらなくはないが予想を超えてもこないという、『ハリー・ポッター』新シリーズ一作目としては無難すぎる出来でした。
いきなり全力で安定性に走ってしまった新シリーズ一作目
この映画は良くも悪くもデヴィッド・イェーツ監督らしさが全開です。
ハリー・ポッターシリーズ5作目である『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』で初めて起用されたデヴィッド・イェーツ監督作品を見た時は、子供向けの映画とは思えないほど硬派な演出のため、その攻めの姿勢に驚かされました。
ですが、もうさすがに『ハリー・ポッター』シリーズと合わせると今作で監督5作目ともなり、新鮮味は皆無です。
結局、主人公が変わろうと、舞台がイギリスからアメリカに移ろうと、陰鬱でシリアスなトーンだった『ハリー・ポッター』後半と違い、新シリーズで明るくコミカルになったとしても、いつものデヴィッド・イェーツ監督作品の特徴がそのままでしかありません。
デヴィッド・イェーツ監督は美術周りのこだわり初め、映像バランス感覚に優れているためどんなに非現実な異物でも周囲から浮かせることなく全て画面内に自然に美しく納めてしまえる力量があり、ここら辺はファンタジーと相性が良い上に、演出も抑制されているため、優雅で品のいいイギリスファンタジーを映像化させる際にも適材だと思います。
ただ、問題はサスペンスセンスが致命的に欠けており、緊迫したシーンの作り方がヘタにもほどがあることです。
今起こっている出来事をド派手に描くことができても、これから起こるであろう先の展開を予感させて見る者をハラハラさせるというサスペンス演出能力が絶望的なほど皆無なため終始映画は単調です。
次から次に中身の薄いドタバタ劇を受動的に見せられるだけで、どんなに主人公たちが危機的状況に陥っていても、感情移入してハラハラドキドキするといった興奮もなく、映画の印象としては過去作と変わらず平板そのものでした。
ハリー・ポッターの原作者であるJ・K・ローリングが書いている脚本も構成が酷く、序盤に逃げ出して捕まえた動物がその直後にまた逃げ出して再び捕まえるという、まったく同じことを二回繰り返す無駄な展開があるなど、まとまりに欠けます。
これがサスペンスが苦手なデヴィッド・イェーツ監督の弱点をさらに際立たせてしまい、無駄な展開な上に一般人に魔法動物が目撃されたらどうしよう、などといった最低限の緊張感もないという二重苦な状態で見ていて若干苦痛でした。
今作の売りは魔法動物のはずなのに、序盤から可愛い外見の動物を出してしまい、一見怖そうだけど実はチャーミング・・・・・・などといった魔法動物への印象の変化は一つも描かれず、すでに分かり切っている主人公の魔法動物愛を延々と尺を取って見せ続けるだけ。
終わってみると前半の逃げ出した魔法動物たちを捕獲して回る話は何だったんだ?と思うほど無意味で、かつ街で起こっている不可解な怪事件の犯人に間違えられる(仕立て上げられる)というくだりともそれほど密接に関係もしないため、最後まで特に盛り上がりもしません。
ただ、演出・脚本共に欠点が多いものの、主人公のニュート・スキャマンダー役のエディ・レッドメインは、優しさを漂わせながらも他人に心を開きたがらない陰のある佇まいで、イギリスファンタジーらしい人付き合いが苦手な変人主人公としては魅力抜群なので、正直この人が主役でなかったら見続けるのがもう少しきつかったかもしれません。
最後に
冒頭はキービジュアルどころか『ハリー・ポッター』シリーズそのものと言っても過言ではないホグワーツを一切見せずに、作中メディアである日刊預言者新聞の記事だけでこれが『ハリー・ポッター』と同一世界観であると端的に表現して見せる『スターウォーズ』シリーズの字幕をも連想させる手法は感心させられました。
ですが、良くも悪くも『ハリー・ポッター』シリーズのスピンオフ前日譚としては品が良く安定しすぎており、全体的にもう一押し足りず刺激不足でした。
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