えんみゅ~ -えんためみゅーじあむ-

アニメ、書評、映画、海外ドラマ、ゲームなどのエンタメ作品総合レビューブログ

えんみゅ~

全カット全演技深読み可能な至福のイタリア映画 「ドッグマン」 〈レビュー・感想〉

f:id:chitose0723:20200526173249j:plain

トレーラー

評価:90/100
作品情報
公開日(日本) 2019年8月23日
上映時間 103分

短評

 
 人間同士なのに会話も意思の疎通も成立しないという恐怖を臨場感ある撮影と役者の演技で表現しきっており、映画としての完成度が凄まじく高い、マッテオ・ガローネ監督渾身の一作。
 
 主人公のマルチェロを演じるマルチェロ・フォンテと、マルチェロを恐喝し長きに渡り飼い犬のように搾取し続ける悪友のシモーネを演じるエドアルド・ペッシェという二人の役者の演技はこの映画を特別な一本にしてしまう魅力がある。
 

犬にも劣る人間の愚かしさ

 
 この映画はドッグマンというドッグサロンを経営する気の弱い主人公マルチェロが、昔からマルチェロに付きまとう悪友シモーネの暴力と搾取に怯える毎日を淡々と描くという内容です。
 
 スリラーやホラー要素もありますが、基本はひたすら主人公が粗暴な悪友の脅しと暴力で苦しみ続ける陰惨な話なため、見ていて楽しいという類の作品では一切ありません
 
 数ある暴力シーンよりもこの映画で最も恐ろしいのは同じ人間同士で意思疎通がまったく成り立たないという場面です。
 
 これは本作のマッテオ・ガローネ監督の過去作である、イタリアに実在する犯罪組織カモッラの日常を淡々と描く、半分ドキュメンタリーのようなマフィア映画『ゴモラ』を見た時も同様でした。
 
 

 
 具体的に何かが起こるというより、人間同士のコミュニケーションが上っ面のみでほとんど成立しておらず、後々に面倒なことが起こりそうな予感だけが映画内に漂い続けるという共通点があり、『ゴモラ』を見た後だとすんなり本作の作風に馴染めます。
 
 ただ、『ゴモラ』よりも不気味なのは悪友であるシモーネの深い考えなど一つもない、ついさっき思い付いたような気軽さで他人が築き上げてきた人生を崩壊させるような無計画さです。
 
 いくら犯罪組織でも『ゴモラ』だと序列やルールが明確にあり、そのルールを破ると同じ組織の者同士でも粛清されるのに、本作のシモーネにはそれがありません。
 
 狡猾こうかつな犯罪でシノギに精を出すマフィアに対し、計画性もない、一体何をどうしたいのかすら推し量れない頭の悪い人間のずさんな思い付きで人生があっさり壊されてしまう様は『ゴモラ』とはまた決定的に異なる、ごくごく身近に潜む普段見て見ぬふりをしている卑近ひきんな闇を目の当たりにしているような生々しさがあります。
 
 シモーネは母親以外の他人を自分と同じように個別の人生がある一人の人間として見ることができず、他人の痛みも苦しみもなんら理解できない、しかもやる行為に明確な意味すらなく、そんな想像力が完全に欠如した無軌道な者の気分次第で一生を懸けて築き上げてきたものが崩れ落ちてしまう脆さにこそ一番の恐怖を覚えました。
 
 見ず知らずの他人に飼われる犬にすら同情するマルチェロに対し、長年一緒に過ごしてきてごく身近であったはずの友人の人生すら想像できないシモーネを見ていると、暴力それ自体より他者への共感や想像力の欠如こそが真に恐ろしいという気分にさせられます。
 

この世界のどこかに存在しているとしか思えないマルチェロとシモーネ

 
 この映画の最も優れている点は、やはりマルチェロ役のマルチェロ・フォンテと、シモーネを演じるエドアルド・ペッシェという二人の役者の脅威の演技力です。二人の演技があまりに自然すぎて映画の終わりまで、マルチェロとシモーネという人物の存在を疑うことは一切ありませんでした。
 
 これは『ゴモラ』のようなあまり演技をさせずに半分ドキュメンタリータッチで撮っている映画とはまた別の、全ショット徹底して作り込んでいるゆえの嘘くささが入り込む余地がない演出の凄みもあり、役者と同時に監督と撮影監督の力量にも惚れ惚れします。
 
 『ゴモラ』も手持ちのカメラで役者の動きに寄り添う、主張しない控え目な撮影でしたが、こちらはさらに数段実力が増し、考えて見ていないとカメラがそこにあるということすら忘れてしまうほどの自然さで、最後まで一時たりとも集中力が途切れませんでした
 
 しかし、この映画は細部まで妥協がないため同時に見る者に不用意に物語に没入させず客観性を失わせないままあえて突き放すような、優れた映画に特有の冷たさもあります。『ゴモラ』を見た時と同様、映画でこの空気を出せるマッテオ・ガローネ監督は天才だなと再認識させられました。
 
 混乱しないよう後に起こる展開に対し何気ない場面に店の位置関係や人物同士の距離感を分かりやすく配し、説明を説明と感じさせない手際も見事でした。しかもそれら全てのこだわりはマルチェロとシモーネ、二人のやり取りの緊張を高める効果に直結し、二人の高い演技力だけに頼らない、演出の足腰の丈夫さも備わっており、一部の隙もありません。
 
 マルチェロの視点で物語を追うのに、肝心のマルチェロも分かりやすい善人とはほど遠く、シモーネも記号的な悪役ではなく、時々母親への配慮やマルチェロに対するサービス精神のような人間性らしいものも発揮し、どの人物に対しても良い意味で居心地が悪い距離感が保たれ続け、次に何が起こるのかまるで行動が読めません。
 
 飼い犬のような人生を送ってきたマルチェロがついに飼い主の手に噛み付いても、『ゴモラ』同様その先には分かりやすい答えなど一切用意されない「じゃあ、どうすれば良かったんだ」という虚しい疑問だけが残り、その疑問と同時にこの映画も深く記憶に刻まれました。
 

最後に

 
 カメラの存在をほぼ意識させない自然な撮影や迫真を通り越すほど実在の人物にしか見えない役者の演技、説明と同時に背景に意味を盛り込む演出の巧みさなど、一片の隙もない完成度で『ゴモラ』超えすらしている文句の付け所のない大傑作!!