著者 | フランク・ハーバート |
出版日(アメリカ) | 1965年 |
評価 | 100/100 |
オススメ度 | ☆☆☆ |
ページ数 | 約1249ページ |
小説の概要
この作品は、1965年に出版されたアメリカの長篇SF小説です。優れたSF作品に贈られるヒューゴー賞と、優れたSF小説に贈られるネビュラ賞を同時に受賞するという快挙を成し遂げ、世界的なベストセラーとなり、幾度も映像化された伝説的な名作です。
ページ数は上・中・下巻全て合わせると約1100~1200ページほどで、ボリュームはそこそこあります。
ストーリーは、全宇宙で唯一の抗老化作用を持ち、使用者の精神を拡張させ未来予知すら可能とする貴重な香料“メランジ”が採取できる砂の惑星アラキス(デューン)を巡り、宇宙を支配する帝国と、その大領家(貴族)であるアトレイデス家とハルコンネン家、星間運輸を仕切る航宙ギルド、そしてアラキスに暮らす厳格な戒律を持つ砂漠の民フレメンたちと、様々な勢力の思惑が交錯する群像劇であり壮大なSF叙事詩です。
全宇宙で唯一アラキスのみで採取できる人間の精神を高次元に到達させる貴重な香料“メランジ”というぶっ飛んだドラッグや、香料が産み落とす莫大な利益を巡る帝国内における権力闘争。砂の惑星という舞台に説得力を持たせるべく細部まで徹底して練られた生態学(生態系)や、砂漠の民フレメンたちの中東にルーツを持つ宗教観の構築、砂漠での生存に特化した独自のテクノロジー群のアイデアなど、狂気的なまでのディテールを誇る正真正銘の大傑作でした。
後世の様々なSFに影響を与えし伝説の古典
まず、この小説を読んで分かるのが『スターウォーズ』の砂漠の惑星タトゥイーンやジェダイ騎士団、そして宮崎駿の『風の谷のナウシカ』の腐海やオームといった設定は『デューン』という作品の影響下で生まれたことです。
マイナーなところだと『装甲騎兵ボトムズ』特に『野望のルーツ』のレッドショルダーの描かれ方は皇帝の親衛隊サーダカーが元ネタだと分かります
これまで見たあらゆるSF作品の中に登場する砂漠や、砂漠で暮らす民、砂漠に生息する巨大生物や、宇宙を股にかける独自の教義を持ち政治に介入する宗教組織など、これらの設定で『デューン』が作り出したイメージの影響下にない作品など皆無と言ってよく、これだけでこの小説の偉大さに圧倒されます。
さらに驚異なのは『デューン』の影響を受けたどのSF作品より、原点であるこの小説のほうが知的かつアイデアがぶっ飛んでおり、完成度が高いことです。
全体の整合性より作者の縦横無尽な想像力を優先させたような、人間を高次元に引き上げ使用者に過去・現在・未来のビジョンを同時に見せる神秘のドラッグや、帝国内における惑星や星系全体を支配する貴族同士の権力闘争、恒星間の運輸や香料の取引を担う巨大な航宙ギルドや巨大星間企業。宇宙全体の宗教や血統を秘密裏に管理しようと企む神秘主義組織など、本来なら方向性がバラバラなアイデアを宇宙で唯一の貴重な香料(ドラッグ)が採取できる砂の惑星デューンという設定で力ずくで一つにまとめてしまう強引さとその手腕は見事としか言い様がありませんでした。
しかも、小説内のアイデアが良い意味でまとまりに欠けていることで、砂の惑星や香料メランジ、主人公ポールの成長を巡る小さな話にとどまることがなく、この小説ですらフランク・ハーバートが想い描く壮大な宇宙サーガの一断片に過ぎないという無限のスケール観を感じさせます。
かと思いきや、水が命の次に貴重である砂漠に住まうフレメンたちは、保水(スティル)スーツという体内の水分を逃がさず循環させる機能を持った特殊なスーツの開発技術や、水の重さを限りなく正確に計れる計水技術を有し、水を効率的に使う技術だけは他のものより不自然なまでに突出して高度な水準に達しているなど、細かい設定は地に足が着いた説得力がありました。
このように、宇宙規模の壮大なスケールはどこまでも壮大で、特殊な環境下で暮らす者たちの緻密な生活ディテールはどこまでも緻密と、荒唐無稽にも矮小にもならず、語りの視点が高すぎず低すぎずの理想的な高度を維持してくれます。
ただ、約60年前の小説なため古くささを覚える場面も多々あり、しかも新訳版の割に言い回しが時代遅れな箇所も目立ち、読んでいて退屈な瞬間もありました。
特に会話シーンでお互いの心の声を全て描写してしまう神様視点の場面が多くあり、ここは小説としてまったく洗練されておらず、くどく感じます
それでもあらゆる欠点を根こそぎ吹き飛ばすほど個々のアイデアの切れ味が鋭く、かつその組み合わせ方が決して型にはまることなく自由自在で、とてつもないSF小説を読んでいるという知的興奮が終始冷めませんでした。
デヴィッド・リンチ版(1984年)の映画との比較
『ブルーベルベット』や『マルホランド・ドライブ』、ドラマの『ツイン・ピークス』など数々のカルト作品でお馴染みの奇才デヴィッド・リンチが監督した1984年の映画版『デューン』は完全なる失敗作です。
映画はとてつもなく出来の悪いダイジェスト版でしかなく、しかも一本の映画としても常に画面が窮屈で、デザインが死ぬほどダサく面白味も皆無なため、本当にただの駄作でしかありません。
自分が初めて『デューン』という作品に触れたのはこのデヴィッド・リンチ版で、過去に見た際もまったく面白かった記憶がありませんでしたが、原作小説を読んだ上で再び見返してもやはり退屈なだけでした。
この映画のせいで『デューン』という作品に対してマイナスのイメージを持つ人が世界中に大勢いると思います
なぜか原作の説明くさい部分は忠実に再現され、原作の良かった部分はあらかた消えており、褒めるところが見当たりません。
本当は自分が『デューン』を映画化したかったホドロフスキーがこの映画のあまりのゴミ駄作っぷりに歓喜したという話が今ならよく分かります
ストーリーが飛び飛びのダイジェストでこの映画単体では意味不明な上に、映画全体のデザインがことごとく安っぽく、原作の味である砂の惑星デューンに説得力を持たせていた微細なディテールは完全に消え失せ、これといって見るべき所はありません。
ドゥニ・ヴィルヌーヴ版(2021年)の映画との比較
『ボーダーライン』、『メッセージ』、『ブレードランナー2049』と、作る映画がことごとく傑作で、間違いなく現在世界トップの映画監督の一人であるドゥニ・ヴィルヌーヴが監督した2021年の映画版は大傑作中の大傑作でした。
こちらは原作を忠実に映画化しようとムダな部分が説明くさかったデヴィッド・リンチ版とは対照的に、セリフによる説明をほぼ全て削ぎ落とし切り、そんなことより映像のみで圧倒してしまうというアプローチが功を奏し『デューン』の映画版として凄いどころかあらゆる過去のSF映画をも凌駕するほどの域に達し、間違いなく映画史に残る空前絶後の完成度です。
ハッキリ言ってこのドゥニ・ヴィルヌーヴ版は原作小説に匹敵するどころかそれすら超えているといっても過言ではないほど完璧でした。
原作小説が砂の惑星デューンという特殊な環境に説得力を持たせるため気が遠くなるほど設定のディテールを積み重ね、世界に実在感を持たせているのに対し、映画版は同じく気が遠くなるほど宇宙船をはじめとした各種乗り物、宇宙服をはじめとした軍服や礼装、普段着といった衣装、建造物、室内の家具や小道具の一つに至るまでありとあらゆるデザインが凝りに凝っており、初めて見た際はそのあまりの豪華さに鳥肌が立ちました。
とにかく『デューン』の映画版として凄いというより、あらゆる過去のSF映画と比較しても劣ることがない、信じられないほどの高みに達しており、文句などあるはずもありません。
と言うか、この映画を先に見て衝撃を受けたため原作小説を読んだんですけどね
最後に
元々ドゥニ・ヴィルヌーヴの映画版を見てあまりの完成度の高さに原作も絶対に読まなければいけないと半ば古典を義務感で読むようなつもりで挑んだため、この面白さは嬉しい誤算でした。
救世主が誕生する話に見せかけて、その実全てはベネ・ゲセリットが仕組んだ筋書きでもあるという、作者自身が救世主の誕生を劇的に描きながら同時にその茶番をシニカルに相対化もするというバランス感覚は現代でもまったく色褪せていません。
もしこれがただの救世主が誕生するだけの話なら約60年という時の流れに耐えられなかったと思います
個人的にSF小説に一番求めている、作家の無限の想像力に触れることで自分の意識が拡張されるような快感がこの小説にはぎゅうぎゅうに詰まっており、SFを読む醍醐味を思う存分堪能できました。
映画版
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