発光本棚

書評ブログ

発光本棚

【TVアニメ】ドラゴンボールという作品の疑似的な死 |『ドラゴンボールGT』| 感想 レビュー 評価 

f:id:chitose0723:20180724122330j:plain

OPアニメーション

評価:60/100

作品情報
放送期間 1996年2月~1997年11月
話数 全64話
アニメ制作会社 東映動画(現 東映アニメーション)

アニメの概要

 
この作品は、『ドラゴンボール』の続編として制作されたテレビオリジナルのアニメです。しかし、新たに『ドラゴンボール超(スーパー)』という正統続編が作られており、今となっては外伝のような作品です。
 

何をどうやっても超(スーパー)からGTへは話が繋がりません

 
『ドラゴンボール』でスペースオペラをやろうというコンセプトは良いと思いますが、いかんせん脚本が酷すぎて見るに堪えない完成度でした。
 

あらすじ

 
かつて神様とピッコロが一つだった頃に作られた強力な(星が)黒いドラゴンボールがピラフにより盗まれ使用されてしまう。
 
7つの黒いドラゴンボールは通常の(星が)赤いドラゴンボールとは異なり、使用した惑星内のみに留まらずあちこちの銀河に飛び散ってしまう。
 
界王様から黒いドラゴンボールは使用してから一年以内に集めないと使用した星が消滅してしまうという警告を受け、シェンロンへの願いの手違いで子供の姿となってしまった悟空と悟空の孫であるパン、そしてトランクスの三人は地球を救うため、宇宙の彼方へと飛び散ったドラゴンボール集めの旅に出る。
 

ドラゴンボールバイアスを無視したコメディ要素

 
本作はコミカルな作風ですが、見ている最中にくすりとも笑いが漏れることがありませんでした。
 
それはドラゴンボールを見る際に、視聴者側の頭の中に存在するドラゴンボールバイアス脳内スカウターと言い換えてもいい)を前提として作られていないためです。
 
悟空達の頭をやたらごっつんこさせてみたり、落下物を衝突させて痛がらせたりと、やたら体を張ったチャップリンかジェッキー・チェンかという様な喜劇風やり取りが多いものの、そもそもフリーザやセルと平気でやり合えるような悟空達が少し頭をぶつけた程度でダメージを負うわけもなくアイデア自体が空回りしています。
 
全体的に普通のアニメのコメディメソッドをそのまま使っており、ドラゴンボール用に最適化されていません。
 
このような痛いはずのないことで痛がったり、本気を出したら負けるはずのない相手にわざわざ時間稼ぎのために苦戦させてみたりと、マッチポンプ要素が多すぎて辟易させられました。
 
ドラゴンボールとは常に読む側の想像・期待を上回る濃密なアイデアの宝庫のような作品であり、そのドラゴンボールをこのような低レベルで子供騙しな脚本で誤魔化そうとする姿勢に腹が立ちます。
 

ずさんな構成の末路

 
構成のずさんさは後ろに行くほど深刻でした。前半の広大な宇宙でドラゴンボール集めをするというスペースオペラ要素があまりにもお粗末だったため、中盤で仕切り直しを図ろうとするものの、それも結局失敗し、問題を修正しきれないまま終盤に突入と構成がグダグダもいいところ。
 
前半何も積み上げられないまま中盤になだれ込んだツケは大きく、パンやトランクスなど、描きようによってはいくらでも魅力的にできたはずのキャラの持ち味を殺し、しかも途中からまったく違う話が唐突に始まるというお粗末さに見ていて頭が痛くなりました。
 
出たとこ勝負の近視眼的な話に終始するのみで、ドラゴンボールというドラマの積み重ねによって壮大な物語を紡ぐようなタイプの作品の魅力をことごとく殺してしまっています。
 
ラストで元気玉を使用する際に、宇宙を旅した過程で出会った人たちから元気を貰いますが、そのあまりの数の少なさと印象の薄さに逆に驚きました。
 

元気玉の感動、そしてDBロス、悟空ロス

 
不満だらけの本作の中でも、素敵な拾い物もありました。それは子供のころは漠然としか捉えていなかった元気玉認識が大幅にプラス方向に変化したことです。
 
悟空が自分を応援する者達から元気を集めるという展開は非常にメタ的な意味合いを含み、あの元気玉を形成する大量の元気の中に、ファンの元気、つまり自分の元気も込められているのだと思うと、非常に感慨深いものがあります。
 
悟空とファンが繋がる瞬間、それが元気玉という視聴者(の心)参加型の技なのだと、頭ではなく心が理解してくれたため、元気玉とはなんとドラゴンボールという作品の精神の在り様そのものを体現した素晴らしい技なのかと深い感動を覚えます。
 
改めて自分はドラゴンボールという大傑作の魅力をきちんと把握できていなかったのだと反省しました。
 
そして圧巻なのは最終回の余韻です。ペットロスならぬドラゴンボールロス、悟空ロスを覚え、観終わって半日ほど脱力して動けなくなりました。
 
最終回は無慈悲にも視聴者からドラゴンボールや悟空という大切な存在を奪い去るという厳しい終わり方をします。
 
ドラゴンボールや悟空がいかに自分の中で大きな存在なのか、それが消失するということがどのような意味を持つのか・・・人生において、失って初めてその存在の真の価値に気付くことは往々にしてあるものの、このGTという作品の最終回はまさにドラゴンボールと悟空を失うという貴重な体験ができます。
 
若干作り手の意図とは異なるものの、これはドラゴンボールファンなら死と再生の通過儀礼のような機能を果たし、ドラゴンボールという作品の擬似的な死を経験することで、逆にドラゴンボールに対する自分の思いを整理することができました。
 
この最終回の悟空ロスを経験したことで、ドラゴンボールという作品の掛け替えのなさに気付き、自分のドラゴンボール愛はより深いものとなりました。
 

最後に

 
脚本があまりにお粗末なため、単体のアニメ作品としては凡作もしくは駄作の部類です。
 
しかし、ドラゴンボールや悟空を完全に消し去るという無慈悲なラストは、ドラゴンボールの掛け替えのなさに気づかせくれるため、その一点のみを持って貴重な一作でもあります。
 
 

 

TOP