著者 | 宮尾登美子 |
出版日 | 1996年9月1日 |
評価 | 90/100 |
オススメ度 | ☆☆ |
ページ数 | 約890ページ |
小説の概要
この作品は、紀元前一世紀、プトレマイオス朝エジプト最後の女王(ファラオ)として君臨したクレオパトラ七世の波乱に富んだ生涯を描く歴史小説です。
王の座を巡る骨肉の殺し合いに巻き込まれ、クレオパトラが首都アレキサンドリアを脱出する14歳から、アクティウムの海戦でオクタヴィアヌスに敗北し、プトレマイオス朝エジプトが滅亡するまでの約25年に渡る出来事が描かれます。
絶世の美女クレオパトライメージを払拭せんがため、常に暗殺の恐怖に怯え神や占いにすがるか弱い姿や、書物を愛し多言語を使いこなす聡明な女王としての振る舞い、愛する者への嫉妬で苦しみ悶 える不器用な一面など、伝説としてのクレオパトラではなく、一人の人間クレオパトラ像を描き切っており、読むとクレオパトラという人がより身近に感じられます。
家族間の権力争いで命を狙われ続ける不遇な子供時代から、シーザー(カエサル)との恋の炎で身を焦がす大恋愛劇。晩年のアントニー(アントニウス)との酸いも甘いも入り交じった結婚生活と、クレオパトラの歩みそのものが山あり谷ありと険しく、お堅い歴史小説というより恋愛小説かサスペンス小説のような面白さでした。
ただ、新聞連載小説のためか全体的に歴史ものとしての重厚さがなく、読みやすい反面ずっしりとした手応えが乏しいという問題もあります。
妖婦からイチ人間へ
この小説は、作者の宮尾登美子さんのインタビューを読むと、妖婦として悪人のイメージが強いクレオパトラを賢く聡明な女性として魅力的に仕立て直したいという純粋な想いが強く、その試みは大成功していると思います。
まず、冒頭が14歳のクレオパトラから始まり、これが本当にただの読書好きで大人しい暗殺の恐怖に怯えるだけの地味な女の子にしか見えません。そのため、何がどう間違うとこの子がローマの大英雄であるシーザーと浮き名を流し、エジプトの女王として君臨するのか皆目見当がつかず、この導入部はクレオパトラに付随する美貌で男を籠絡 する女王イメージを洗い落とすには効果的でした。
それに、この小説を読む前はクレオパトラの人生と言われても思い浮かべるのは女王になってからの煌 びやかな宮廷のイメージしかなかったため、若い頃の話はどれも新鮮です。子供の頃から肉親同士の激しい殺し合いを生き残り、時に命を狙われ惨めな逃亡生活を余儀なくされ、時に自分に逆らう姉妹や弟を亡き者にすることで権力を握りと、これほど死線をさまよった苦労人とは知らず、クレオパトラへの派手な印象が一変します。
ちなみにゲームの『アサシンクリード オリジンズ』とまったく同じ時代です
さらに、古代エジプトの王家はハプスブルク家も霞 むほど濃い近親婚の連続で、父が実の娘と結婚し子供を産ませたり、兄弟や姉妹で結婚し子供を作るなんて当たり前です。そのせいで、クレオパトラと実の父親であるプトレマイオス十二世が結婚するのではと噂が出るだけで手に汗握る展開となり、当時の習慣までもがクレオパトラの人生をより劇的に見せる役割を果たしています。
全体的に、多少の創作は加えていても基本は史実に沿いながら、いかにも宮尾登美子さんらしい、登場人物をまったく美化せずドス黒い感情を剥き出しのまま、その欲深さすら人間的魅力へと転化させてしまう手腕が冴え渡っており、宮尾登美子作品を読んでいるという確かな読み応えがありました。
クレオパトラもメロメロ
この小説は主役がクレオパトラですが、ハッキリ言って一番魅力的な人物は誰かと言えばダントツでシーザー(カエサル)でした。
本作におけるシーザーは豪傑を絵に描いたような快男児で、英雄色を好むを地でいくような嫌味のない爽やかな女好きの一面や、聞く者の心を蕩 けさせるような名演説の数々、てんかんの持病を誰にも言えず悩み苦しむ繊細な一面に、戦 ともなれば命懸けのパフォーマンスで味方を鼓舞するカリスマ将軍っぷりと、非の打ち所がないほどの好人物でした。
この小説を読むと『宮尾本 平家物語』や大河ドラマの『義経』における宿敵の子供にも慈悲をかける懐の大きい平清盛のイメージは、本作のシーザーが元ネタなのだとよく分かります。
元々豪快な逸話の多いシーザーと、その人の欠点まで魅力に転化させる宮尾登美子さんの作家性がこの上ないほどの化学反応を起こし、エジプトとローマ二つの国を巻き込む、クレオパトラとシーザーの大恋愛劇パートは本作でも最高の楽しさです。
シーザーを類い希な魅力を備えた英雄として成立させたおかげで、シーザーが暗殺された後は、もう二度と後戻りできないほど決定的な何かが失われてしまったという喪失感が漂い、物語が破滅の未来へこぎ出す転換点としても最良でした。
あまりにシーザーが魅力的すぎて、シーザー亡き後の話が若干蛇足に感じられるという問題すら起こっています
歴史小説としてはやや軽い作風
この小説は、読んでいる最中ずっと文章が歴史小説としてはやや軽いことや、説明が不足していること、スケール観があまりないという違和感が拭えませんでした。読み終わってから調べると、この作品は朝日新聞の日曜版で週に一回連載された新聞小説で、決して歴史小説好き用に執筆されたものでないと分かると合点がいきました。
古代エジプト人やローマ人が普通に“ドア”とか“パーティ”、“プレゼント”など英語を喋っているのはノイズでしかありません。
それに本作は、歴史小説にしてはやたら主要登場人物が少なく、人物像が明確に描き分けられるのがほぼ10人くらいしかいません。その少人数を中心として物語が進むため、語りの視野が極端に狭く感じられます。
クレオパトラには4人子供がいるのにまったく誰が誰だか書き分けられておらず区別も出来ません
しかも、物語中にクレオパトラは何度もエジプトを離れるため、留守中のエジプトをほったらかしているようにしか見えず話に集中できませんでした。せめて政治や神官・諜報員など各セクションごとに主要な人物を一人おいて面倒なことは全てその人たちに任せるなどの工夫がないと、エジプトが空っぽに見え、そこにたくさんの人々が暮らしているように見えません。
これらは多分あまり歴史小説を読み慣れていない層を意識して分かりやすくした弊害だと思います。
この小説は、コンセプトや土台が非常に優れているため、もっと作風を硬派で難解な歴史小説に寄せ、クレオパトラの細かい政務描写や、周辺国の政治事情も詳しく書かれていたら完成度がもう数段階上がっていたので、ここは本当に惜しいなと思いました。
最後に
肉親同士の凄惨な殺し合いをしたたかに生き抜き、聡明さを武器にファラオとして愛する祖国エジプトを支え、全てを擲 ちシーザーとの大恋愛に興じるなど、冷徹な策士としてのクレオパトラではなく、生き抜くのも恋愛も何もかも全力で挑む感情豊かでどこか不器用なクレオパトラの姿が印象的な小説でした。
作風が全体的に軽いという点や宮尾作品にしては庶民の暮らし向きがさっぱり描かれないという不満は終始気になりますが、冒頭がクレオパトラの目覚めから始まり、最後は死の眠りで終わるという最初と最後が対になるアイデアも見事で、最終的には長所が圧倒的に勝ります。
読むとほぼ100%クレオパトラが好きになるため、作者のクレオパトライメージを刷新するという目的は大成功でした。
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