発光本棚

書評ブログ

発光本棚

【雑記】ブログ 雑感

知ってはいたけど……

 
 このブログのPV数は一日数百程度と特に大した数字ではありません。それなのにここ最近グーグルの検索アルゴリズムが変更されたことの影響か通常時の半分や酷い時は3分の1や4分の1まで激減し、最低の日は100PVを割るほどの落ち込み具合です。
 
 ただ、話には聞いていたものの、こんな一日数百PV程度のブログとはまったく関係ない別の世界の話だと思っていたので、「これが世に聞くグーグルの検索アルゴリズム変更の影響か!」と、むしろワクワクしてるくらいです。
 
 今まで、ブログのPV数が激減したのは独自ドメインにした際と、全記事のタイトルから評価という言葉を抜いた時くらいでした。
 
 評価という言葉を抜いたのは、“ (作品の)タイトル名+評価 ”で検索する人は別段個人ブログの評価を求めているワケではないだろうと思い、検索結果に表示されたら邪魔かなと考えてのこと。このタイトル名+評価という検索で訪れる人が全体の6割ほどいたので、その時もPV数は半分近く激減したものの、特にPV数を増やそうとも思っていないので気にはなりませんでした。
 
 基本はコツコツレビューを書いているだけなので、PV数が劇的に増えることはありません。代わりに減るという経験もまったくしたことがなく、基本はあるかないかの微量の増加のみで、評価という言葉を抜いた際のマイナス分もいつの間にか回復しました。
 
 急な増減があるとしてもせいぜい曜日による閲覧者数の影響(日曜日は増え月曜日は減る)か、PSストアやsteamのセールがあった時に特定の記事が上がる程度。
 
 なので、ある時突然ブログのPV数が目に見えて下がりだし、原因を探るとグーグルのアルゴリズム変更の影響なのだと判明した時は世界的な出来事に立ち会ったようで感動すら覚えました。
 
 ブログを始めてから3年経つにも関わらずグーグルの検索アルゴリズムが変更されると影響があるなんてただの都市伝説みたいなものだと思っていたので、ブログをやっているとこんな刺激も味わえるんだなとむしろ新鮮な心地です。
 

リライトで見えてくる文章の癖

 
 最近、過去記事を軽くリライトしているため、自分の書く文章の恥ずかしい癖と対面させられ、気が滅入ることが多くありました。
 
 よくある傾向が、好きな作品ほど美辞麗句を並べ立てて何を言っているのか分からなくなること。その結果、傑作のレビュー記事ほど文章が支離滅裂で、凡作ほど冷静という、理想とはかけ離れた状態となっており読んでいて虚しくなります。
 
 作品のことなんてほったらかしで自分の感情の高鳴りを描写しようとするあまり書いた本人ですら意味が分からない文章になっており、バッサリ削るしかない箇所だらけで、結果リライトしているのに情報が足されるよりどんどん記事の文字数が減っていくばかりです。
 
 ここら辺は、貴志祐介さんの本を読んだら、あれほど優れたアイデアに溢れた小説にも関わらず、リーダビリティ(読みやすさ)が大事と力説しており考えが変わりました。
 
 
 プロの小説家ですらいかに読者にストレスなく文章を読ませることに心血を注いでいるのか分かり、読みやすさ、分かりやすさに配慮が出来ないのは二流なんだなと猛省させられます。
 
 なので、凝った表現よりも分かりやすいかどうかを重視し、無駄な文章の装飾や無関係な例えは控えようと心に決めました。
 
 文章の癖以外にもレビュー記事を読み返して気付いたのは、一気に見ることでシリーズものの作品に対する意識の変化が読み取れることです。
 
 『龍が如く』シリーズの記事を読み返すと、2のレビュー段階では龍が如くはストーリーが面白いのは当たり前という前提でストーリーに関する記述がほぼ存在せず細かい箇所の批判が多めで、0まで来ると龍が如くなのにストーリーが破綻していないのが凄いとなっており、逆に細かい部分の記述は無視されていると、続けて読むと矛盾しているように見えます。
 
 2をプレイしていた頃の自分はこの先6作品もストーリーがぶっ壊れ続けるとは予想もしておらずもっと新しいことをやって欲しいと文句を言い、0になると苦痛ばかり経験して評価が甘々になって、もうストーリーが破綻していないのであれば細かい不満はどうでもよくなっていると、ここまでシリーズに対する認識って変わるんだなと、自分の書いた文章を読んでいると気付かされます。
 
 こういうシリーズに対する認識変化は連続して読むと矛盾するように見えても、今の自分ではもう過去の認識には戻れないため、貴重なので残しておこうかなと思いました。
 

最後に

 
 このブログ自体最初は自分のゲーム観に多大な影響を与えてくれた『ベイグラントストーリー』とまだリメイクもなにも決まってなかった『この世の果てで恋を唄う少女YU-NO』をとりあえず感謝の念を込めて絶賛しておきたいという、ただそれだけの理由で書き始めたので、本来ならもう続ける理由もありません。
 
 いくら書いたところで毎月はてなpro代と年間のドメイン料で赤字な上に、そもそも自分は文章を書くのが死ぬほど苦痛なので書いていてまったく楽しくもありません。
 
 文章を書くのが苦痛な人間は文章を良くするよりもどう苦痛を軽減するかのほうが大事で、最近は一つ一つの記事を作り込むよりも、軽めに書いてアップした後、直したくなったらその都度リライトして内容を補強するという方式に切り替え幾分か楽になりました。
 
 そもそもブログを書き始めた理由が作品への感謝の気持ちだったので、ゲームだろうとアニメだろうと子供の頃から楽しませて貰っているという恩に対して文章を書く苦痛くらいは引き受け、今後もブログを続けたいと思います。
 
 
TOP