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【歴史小説】美が生まれ死ぬ物語 |『利休にたずねよ』| 山本兼一 | 書評 レビュー 感想

映画版 予告

作品情報
著者 山本兼一
出版日 2008年10月24日
評価 90/100
オススメ度 ☆☆
ページ数 約531ページ

小説の概要

 
この作品は、戦国時代の茶人である千利休が、なぜ美に取り憑かれ侘び茶の大成に生涯を捧げたのかそのルーツに迫っていくという歴史・時代小説です。
 
利休以外に、同時代を生きた複数の妻や僧侶、茶人、戦国武将(豊臣秀吉、古田織部、石田三成、徳川家康、織田信長など)と、視点が次々と入れ替わり、各々が利休に抱く想いを語るという群像劇や連作短編のような変わった作風となっています。
 
利休が切腹する直前から物語の幕が上がり時代が過去へ過去へと遡っていく走馬燈のような趣向や、戦国武将たちの鋭い眼を通して侘び茶の中に利休の激しい妄念を発見していくストーリーなど、数奇すき者の中の数奇者である利休の人生を、凡庸に堕することなく数奇を凝らした構成で語り切る手腕が見事でした。
 

利休の人生を逆さに辿る、美の起源探しの物語

 

この作品は、娯楽小説を対象とした直木賞の2008年度下半期(第140回)受賞作です。なぜ、直木賞を受賞できたのかという理由は読み始めると一発で分かります
 
秀吉の命で千利休が切腹する直前から話が始まり、なんとそこから過去へ過去へと時間が巻き戻っていくという大胆極まりないアイデアに即魅了されました。晩年、天下人となった秀吉と利休が互いに憎み合うギスギスとした状態から物語が始まり、二人がまだ茶の湯を通じて辛うじて心が繋がっていた時期を昨日の出来事のように懐かしみ、天下取りを目前に控えるまだ戦友とすら呼べた昔日せきじつの幸福に目を細めと、後に待ち受ける決別の苦味がジワジワと増していくという趣向は格別でした。
 
過去における両者の関係が輝かしくあればあるほど哀愁が増し、たもとを分かつ未来がどんよりと重苦しくなる様は、まるで侘びの中に一服のつやを見出す利休の茶のごとき味わいで、何よりも凡庸を嫌う利休を物語る手法としては的確に感じられます。
 
そして、下手をすると奇をてらっただけにも見えかねない時間が巻き戻るという趣向に深みを与えるのが、様々な人物の視点から利休を客観的に語る複数視点を盛り込むアイデアです。これのおかげで、利休が延々と自身の心情や過去を吐露し続ける品の無い語りに陥る愚を避けていると思います。
 
あえて、利休の人間としての欠陥を知り尽くす関係者や、相手の弱みを見抜く達人たる戦国武将たちの観察眼で利休を厳しく追及し、利休を覆う神秘のベールを引き剥がし、同時に他者の目を介することで全てを暴きすぎず想像の余地も残すという距離感はいい塩梅でした。
 
この、走馬燈のように時が遡り人物の関係性が変容していくスリルと、利休にあまり多くを語らせず、周りの者の眼を介し美の化身と崇められる利休像を壊していく合わせ技により、数奇すきに生き、数奇すきに死んだ利休の人生を数奇を凝らして描き切るという困難な目標を見事達成できていると思います。
 
ただ、同じ作者の『火天の城』を読んだ際も感じた、結局大本となるストーリーそのものは薄味という印象は今作もあまり変わりません。
 

 
数奇すきを表現するための奇抜なアプローチや、茶の湯に関するディテールへのこだわりは凄まじいのに、肝心のストーリー自体は想像を超えるような展開がなく、終わって見ると余韻があっさりしているという点は『火天の城』とそっくりです。
 
利休が侘び茶に生涯を捧げるキッカケになった恋というのも、相手が人並み外れて薄幸はっこうの美女だったという以上の意味がなく、正直期待外れでした。小説を最後まで読み終わり、なぜ表紙が茶室や茶道具ではなく木槿むくげの花なのか意味が分かってもさほど感動もありません。
 
それより、徳川家康に木守きまもりという、来年の豊穣を祈り一つだけ柿の木に実を残す風習が由来のめいを持つ茶碗で茶を飲ませることで、織田信長、豊臣秀吉に比べ残り物のような存在だった家康が最後の最後には天下を取るという含みを持たせるというセンス良すぎなアイデアのほうに唸らされました。
 

ふんわり柔らかふわふわ文体

 

本作で、ストーリー以外の部分で最も驚かされるのが、茶に生きた千利休の生涯を描くために編み出されたような角が丸くふんわりと柔らかい文体です。『火天の城』を読んだ際はそれほど文章にこだわりがあるように見えず、どちらかというと史料を読み込み情報量で世界を構築するタイプの作家だと思っていました。しかし、今作では見違えるように全文利休という人物を描写するのに最適な文体に調整されており、その妥協無き徹底ぶりには圧倒されます。
 
凄いのは、こんなふわふわと柔らかい綿わたのような文体では、千利休以外に血生臭い戦国時代の人物を描写することは不可能であろうということ。この、戦国特有の血の匂いを排除し、茶の香りを漂わせる利休専用文体から、作者の本作への並々ならぬ情熱が読み取れます。
 

この、やわらか文体で戦を描くのは絶対に不可能ですね

原作小説と映画版との比較

 

映画版は、同じ作者が書いた、織田信長の居城である安土城を築いた宮大工を主役とする『火天の城』の監督が引き続き担当しており、正直まったく期待していませんでした。
 
なぜなら『火天の城』の原作小説は、本能寺で討たれる信長と運命を共にするように、あれほど苦労して建てた安土城が呆気なく焼け落ちて終わるという無常観が漂う苦い余韻の小説なのに、映画版は安土城を建て終えると「安土城が完成したぞ、やったー」みたいな軽いノリでそのまま映画が終わるため、あまりの能天気さにさすがに見ていてブチ切れました。
 
ただ、あまりの改悪ぶりに怒り狂った映画版『火天の城』に比べ、今作は完全に原作小説のダイジェスト版に徹しており、そこまで酷くはありません。しかし、本当にただのダイジェスト版で、しかも茶の湯まわりの美術の美しさだけに全力を投入したような地味な作風で、映画単体で見ても何一つ面白味はないと思います。それに原作に比べやや秀吉が単純化されており、魅力が大幅に減っているのも残念でした。
 
原作小説をそのまま映像化してしまうと、時間が徐々に巻き戻り69歳だった利休が19歳まで若返るという『ベンジャミン・バトン』のような映画になってしまうため、映画版は時代が遡っていくという奇抜な部分は排され、時系列に近い形で物語が語られるように改変されています。
 
利休を演じる主演の市川海老蔵さんはこの映画の撮影当時は30代半ばなため、60代後半の利休は老けメイクで演じ、最後は19歳の利休(千与四郎)も若作りして演じと、実際の利休の年齢と役者の年齢が終始ズレ続け一度も重ならないため、正直かなり違和感が付きまといます。それでも、見続けると慣れてくるのと、さすがに歌舞伎役者のためややオーバーアクト気味ですが演技にキレがあり着物姿も様になるため、『のぼうの城』でのぼう様を演じる野村萬斎さんが原作ののぼう様と別人のような描かれ方と同程度の違和感には納まりました。
 
映画版の見所はやはり侘び茶に関する美術で、原作では文章でイマイチよく分からなかった茶室内の様子や、実際に触りたくなるほど魔性の魅力を放つ茶道具の数々、そして実際にお茶を点て客に振る舞う場面は見ていて落ち着くと、茶に関する美術を見るだけでも最低限は楽しめます。
 
とにかく映画版はただのダイジェストで、しかも時間が徐々に遡るという趣向や、次々に戦国武将の視点が移り変わり利休の本心を暴いていくという原作の核となる要素が完全に排されており、映画版だけだとあまりに駆け足で、何を描きたい作品なのかさっぱり掴めないと思います。
 

個人的に一番好きだった徳川家康の木守のエピソードが削られているのも残念でした

最後に

 
ストーリーそのものが面白いというよりは、利休という美に生き、侘び茶に明け暮れ、数奇すきに遊んだ者の生涯をどのような趣向を凝らし凡庸に堕することなく描き切るのかという腐心こそが見所で、読んでいて作者のこだわりぶりに舌を巻くばかりの力作中の力作でした。
 

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