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DARK(ダーク) シーズン1 〈レビュー・感想〉 アルファにしてオメガという概念を映像化したドラマ

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トレーラー

 
評価:95/100
 
作品情報
配信日 2017年12月1日
話数 全10話
ドイツ
映像配信サービス ネットフリックス

短評

 
 群像劇なのにも関わらず序盤は役者の顔の見分けが付かないせいで、人物同士の関係性が非常に把握しづらい上に、それがストーリーの理解にすら支障を来たすため、極度のストレスを覚える。
 
 しかし、一度顔と名前が一致してしまえば、次に何が起こるのかまるで予想が付かない意外過ぎる展開の連続に引き込まれてしまう。
 
 全体的にキャラクターの魅力は皆無に近いものの、難解な設定や複雑怪奇な登場人物の関係性の秘密が徐々に明らかになっていく構成はこの上ないほどの魅力がある。
 

あらすじ

 
 時代は2019年。舞台は廃炉を間近に控えた原子力発電所のあるドイツの田舎町ヴィンデン
 
 平和なヴィンデンの町で一人の少年が失踪する事件が起こる。この町では33年前にも同様の未解決の少年失踪事件が発生しており、当時を知る住民は過去の事件の再来だと不安がり、町は重苦しい空気に包まれていた。
 
 不可解な少年の失踪事件を機に、ヴィンデンの住民たちはこの町に隠された人智を遙かに超越した驚愕の現象と対面することとなり・・・・・・。
 

「あなたはどこの誰ですか?」

 
 本作の最大の問題は役者の顔がほとんど見分けられないことから生じる序盤の過度なストレスです。
 
 田舎の町で少年の失踪事件が起き、それから町で不可解なことが起こり始め、どうやらそれには町にある施設が絡んでいるらしいということが示唆される序盤の展開はほとんど『ストレンジャー・シングス』と同じです(似ているのは序盤だけで、それ以降は完全な別物)。ただ、こちらはキャラの濃すぎるストレンジャー・シングスとは真逆で、序盤はヴィンデンの町の住民たちの見分けが付かず、先が気になるストーリーにイマイチ集中出来ません。
 
 本作は、設定や展開はストレートにエンタメなのに、人物の描き方は純文学のようなキャラクター性が非常に薄い等身大の生の人間として描かれるため、そのちぐはぐさに慣れるのにかなりの時間を要します。
 
 しかも、2019年・1986年・1953年という異なる三つの時代の出来事をほとんど同時進行で描くというトリッキーな構造のせいで、2019年の時点ですら誰が誰だか分からないのに、1986年の登場人物もパッと見判別できず、1953年も同じと、もはや呆れるほど画面に映っているのがどこの誰なのか判別する作業に労力を要求してきます。
 
 たまに説明のため同一人物の過去と現在の写真を並べて見せたり、現在と過去の姿を画面を分割して同時に映したりするものの、そんなバカみたいに不自然な説明を挟むくらいなら、最初から自然に見分けられるように工夫して作ってよと毒づきたくなるほど不親切です。
 
 ただ、この人物の見分けが付かないという設定がうまく伏線から目を逸らす働きをしている箇所(ある時代にいるはずの人がいないのにほとんど人物の見分けがつかないため初見ではまず気付けない、など)もあるため、見始めた直後は不満一色なものの、最後まで見ると納得する部分も多少はあります。
 

あれもこれも欲張りすぎ

 
 本作は気合いが入りすぎているせいか、ドロドロな人間ドラマがあったり、青春ドラマ要素があったり、陰謀やオカルトっぽさがあったりと、やや要素を過剰に詰め込み過ぎで、その分退屈な場面も多くあまりバランスが良いとは思えません。
 
 10代の青春ドラマ要素があるものの、じゃあそれが何かドラマとして面白いかというと別段味気ないだけだし、子供たちが画面に映ると画面が華やぐかと言えばまったくそんなこともなく青春感はほぼゼロ。
 
 やたら色々な夫婦が互いに不倫したり浮気したりとドロドロな関係なものの、そもそもキャラクター性が極端に薄いため興味がない(と言うか、最初は誰が誰だかすら分からない)人物同士の色恋沙汰を延々見せられても別段面白くもなく。
 
 青春もの、不倫もの、オカルトと、それらを一緒くたにするという配合バランスこそ斬新なものの、どの方向性のアプローチも異なる才能や能力が求められるにどれも中途半端で、個々のエピソードにそれほど魅力を感じません。
 
 特に本作を全話監督しているバラン・ボー・オダー監督は、誰が誰だかまったく見分けがつかないという問題からも明らかなように、役者の魅力を引き出してあげる能力があまり高くないので、子役を輝かせないといけない青春ものは本来は向いていないはず。
 
 とにかく作品全体がコンセプトにがんじがらめで、あらゆる描写に意味を持たせ円環構造にしようとするあまり、物語的に意味があるだけで場面としては退屈な箇所が非常に目立ちます。
 

そんなあらゆる欠点を払拭してしまう、まったく先の読めない脅威のストーリー体験

 
 本作は不満だらけなものの、ここだけは手放しで絶賛できるという点は厚みのある設定や先が読めないストーリーの面白さと、それを表現しきる語りのバランス感覚で、単純なストーリーの面白さなら数あるドラマの中でも世界トップクラスです。
 
 ドラマ全体が一つの巨大な精密機械という構造で、個々の人物や設定という歯車が複雑に絡み合い、それぞれの歯車はてんでバラバラな不規則な動きをしているように見えても、一歩引いて眺めると機械はただ黙々と何事もないかのように規則的な運転をし続けているだけという、秩序と混沌が同時に存在するストーリー体験は圧巻の一言です。
 
 2019年・1986年・1953年という三つの時代がそれぞれが絡み合い、過去が未来に、未来が過去にと呼応し、次から次にまったく予想が出来ない衝撃展開のつるべ打ちで、よくここまで見る者の想像を凌駕する展開だけでドラマを1シーズン完走させ切ったなとただただ唖然とさせらるばかりでした。
 
 円環構造という作りなら普通は辻褄合わせを重視しそうなものの、本作はパラドックスすら円環構造の一部という大胆なアプローチで、登場人物の動機が時代を跨ぎ、過去にする行動の原因が未来にあったり、未来で起こる悲劇の被害者だった人間がいつの間にか加害者のような立場になっていたりと、事件の始点と終点があべこべで良い意味でずっと頭が混乱しっぱなしの状態が続きます。
 
 正直、このバラン・ボー・オダー監督はサスペンス演出のセンスがイマイチで、ロマン・ポランスキー監督の映画『ナインスゲート』に影響を受けているであろう冒頭の自殺シーンもパッとしません。
 
 全体的に映像が堅いだけでサスペンスには必須の映像の色気が足りないためそこまで好みの作風ではありませんでした(ただ、一話でウルリッヒが森を駆け抜ける際にカメラをわずかに傾けるだけで動揺しながら走っている様を表現する撮影テクニックは見事)。
 
 しかし、どこで話のリズムを崩すのか、どこで衝撃展開を挟むのか、延いてはどうすれば視聴者は驚くのかという計算は恐ろしいほど精密で、その力業に押し切られてしまいました。
 
 脚本が良くできているのはもちろん、やはり監督の語りのバランス感覚が絶妙すぎで、多分同じ脚本を違う監督が映像化してもここまで不気味かつ美しく話が噛み合わないだろうと思います。
 

最後に

 
 さっぱり見分けが付かない登場人物や分かりづらい人物の相関図、難解過ぎて繰り返し視聴しないと絶対に理解不可能な設定やストーリーなど、決して見やすいドラマではありません。
 
 それでも、映画よりも話数を割けるというドラマの利点をフル活用した、前のシーンの意味合いが次から次に変容していく鳥肌ものの衝撃展開のオンパレードはそれを補って余りあるほど魅力的でした。
 

余談(※ややネタバレあり)

 
 本作を見ていて一番連想した作品は、YU-NOも手掛けた菅野ひろゆきさんのアドベンチャーゲーム『エクソダスギルティー』です。
 
 エクソダスギルティーも同じ場所を舞台に、過去・現在・未来という時空を移動しながら、過去と未来が、未来と過去が関係し合うという複雑なことを試みていた意欲作だったものの、完成度が低く一本のゲームとしては凡作でした。
 
 もしかしたら菅野ひろゆきさんがエクソダスギルティーで真に目指していたものはこのダークの精密機械のごとき構造だったのかなぁと妄想してしまいました。
 
 
エクソダスギルティー (通常版)

エクソダスギルティー (通常版)