トレーラー
評価:80/100
公開日 | 2017年2月18日 |
上映時間 | 119分 |
アニメ制作会社 | A-1 Pictures |
アニメの概要
この作品は、『ソード・アート・オンライン』の劇場版で、時系列はTVアニメの2期と3期の中間です。
VR(バーチャルリアリティ)ゲームを題材としている他のシリーズに比べ、劇場版はAR(拡張現実)ゲームを題材とし、差別化が図られています。
劇場用アニメになったことでTVシリーズからデザイン・作画双方とも進化を遂げ、ビジュアル面が大幅に強化されています。
ただ、オーディナル・スケールというARゲームの根幹に魅力が乏しく、設定や物語の弱点をアクション作画で強引に押し切る姿勢はTVシリーズから変わらず、突き抜けて傑作という完成度ではありませんでした。
あらすじ
2026年。世間では仮想現実へフルダイブ出来るインドア用のVR(バーチャル・リアリティ)デバイスであるアミュスフィアに代わり、アウトドアでも使用可能なお手軽なAR(拡張現実)デバイスのオーグマーが流行していた。
そんなオーグマーに対応した、現実の街を舞台とするAR(拡張現実)MMO-RPGであるオーディナル・スケール。
これまでのカーディナル数(プレイヤー固有のレベルやステータス)を用いるゲームとは異なり、オーディナル数(参加プレイヤー全体のランキング・順位)によって強さが決まるという斬新なゲームデザインや、ゲーム内ランキングを上げれば様々な協賛企業からサービスを受けられるなどゲームの枠を超えた恩恵があり、人気を博していた。
しかし、オーディナル・スケールで開催されたイベントバトルで旧SAO(ソードアート・オンライン)時代の階層ボスが突如出現。
イベントに参加していたSAOサバイバーたちの中にはかつての壮絶なトラウマを刺激された直後、SAO時代の記憶を喪失してしまうというケースも。
なぜ運営会社が異なるオーディナル・スケールのイベントで旧SAOとまったく同じボスが出現するのか?
なぜオーディナル・スケールをプレイしていたSAOサバイバーたちがSAO時代の記憶を次々と失っていくのか?
それはオーグマーという次世代ARデバイスに隠された秘密と関係しており……。
アクションで泣かせる達人技
本作は全体的に劇場作品らしい抑制が効いた渋いカラーデザインとライティングで統一されたシャープな映像が堪能でき、そこは大満足でした。
TVシリーズの1期・2期を見た後だと、SAOもここまで威厳ある映像作品に成長したのかと感慨深いものがあります。
特にラストバトルの作画密度はこれまでのSAOシリーズの全アクション作画をブラッシュアップし尽くしたような凄まじさで、初見では激しすぎて目で追いきれません。
それに、ふいにあるキャラクターの幻影がアクションにリンクしたままほぼ完璧なタイミングで画面に映った瞬間、そのキャラクターの思い出が一気に蘇り感極まって落涙しました。
2期でもアクション作画レベルの高さを利用して切なさを演出するという高度な手法をしていたのに、劇場版はそれを上回り、あるキャラクターの思い出と共にそのキャラクターの激しかった動きの感触そのものを想起させる、身体感覚まで伴う感動の域に達しています。
キャラの思い出と共にアクションの感触すら過去の記憶からたぐり寄せて泣かせるという芸当はアクション作画監督を専門に置きアクション作画に並々ならぬこだわりを持つA-1ピクチャーズだからこそ出来る職人芸でした。
VR(現実に似せた仮想世界)からAR(仮想化された現実)に舞台が移ったことの弊害
全体的にアクション作画は素晴らしいのですが、ゲームの舞台が仮想現実からただの現実に移ったことで色々と問題も生じました。
まず、当たり前ですがAR(拡張現実)ゲームがメインとなるため、これまでのSAOやALO(アルヴヘイム・オンライン)、GGO(ガンゲイル・オンライン)のようなバーチャル空間で、ある程度超人的な動きが可能だった設定とは異なり、キリトやアスナ達は生身なのでアクションに大幅に制限を受けてしまいます。
人間の身体能力を超えたような派手な加速表現やジャンプ、敵の銃弾を剣で弾くなど、これまでのゲームではほぼ当たり前に出来ていたことが不可能となり、結果これまで出てきた全てのゲームの中でも突出して地味でした。
そのため、オーディナル・スケールというゲームがまったく面白そうに見えず、流行っているという設定にも説得力がありません。
加えて、これまでのTVシリーズでは丁寧に描かれた、主人公のキリト視点で舞台となるゲーム世界のルールやそのゲーム独自の面白味を時間をかけて説明するという手順を省き、すでにキリトたちはオーディナル・スケールをプレイしてしばらく経っているという状態から始まるため、ゲーム自体への第一印象が新鮮味に欠けます。
SAOはキリト自身がVRMMO-RPGの素晴らしさを語り、ALOは現実でもスポーツで体を動かすのが好きなリーファがゲーム内で空を自由に飛べることの楽しさを実演して見せ、GGOはシノンというストイックなプレイヤーを通じてハードな世界観の良さを理解させてくれました。
これまで舞台となったゲームはそのゲームの魔性の魅力にとり憑かれたプレイヤーの視点を通して良さを認識できたのに、本作はこの水先案内人の役割を果たすキャラがおらず、世間で流行っているからとりあえずダラダラとプレイしているように見え魅力がまったく伝わってきません。
カーディナル数(基数)を用いる従来のMMO-RPG(個々のプレイヤーがレベル上げやキャラビルドをそれぞれ行うもの)ではなく、オーディナル数(序数)を採用しているMMO-RPG(様々なイベントをクリアすることでポイントを獲得し、他のプレイヤーと相対的なランキングのみを競い合う)という、レベルをランキングに、経験値をポイントに置き換えた設定自体は非常に興味を惹かれるのに、設定ほど斬新なゲームに見えませんでした。
いつもはプレイするゲームそのものがキャラクター化し、細かいルール設定や、それをどのように映像で見せるのかという興味が話の推進力を強化していたのに今回はそこがごっそり欠けています。
それと、AR(拡張現実)なのでイベントバトルが始まると、周りにある現実の建物のテクスチャがゲームオリジナルのものに貼り変えられるという処理がされますが、テクスチャが変わる描写が今どきグリッドのようなものが建物に表示され貼り変わるという、いくらなんでも地味で古臭すぎてダサイのでそこは不満でした。
最後に
細かい部分では、背景が露骨にトレース丸出しで手前のアニメキャラの線と乖離して気持ち悪い箇所がたまにあるなど、不満はそこそこあります。
しかし、アクション作画で感動させる手腕がTVシリーズを凌駕しているなど、伊藤智彦監督が手掛けるSAOの集大成的な完成度で、SAOもここまで辿り着いたのかという確かな手応えがありました。
SAO TVシリーズ
SAO ゲーム版
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