「目を覚ませ・・・・・・でないと手遅れになるぞ!」と漫画で警告を発し続ける、通過儀礼の作家福本伸行
非現実的な空間やシチュエーションの中で極限状態を疑似体験させるデスゲームやそれに近いアプローチの作品は多々ある中で、カイジシリーズはそれらジャンルの得意とする手に汗握るサスペンス性よりも、むしろ作者の愚直なまでの「真剣に生きろ!」という誠実な訴えの印象のほうが強く残ります。
ギャンブルを通じて己の心の弱さや甘えと向き合い、毎日を無為にダラダラと消費するように生きている実情に気づかせ、人生に真剣さを取り戻させる・・・・・・カイジシリーズにとってギャンブルは勝つことが目的ではなく、そのプロセスで己と向き合い、甘えを脱皮しなければならないということに気付かせる試練の役割を果たしています。
『伊集院光の週末TSUTAYAに行ってこれ借りよう!』という、ゲストが自分の思い入れのある映画を紹介するという趣旨のラジオ番組に福本伸行先生がゲストとして出演した際に選んだ映画が黒澤明監督の『生きる』でした。
映画評論家の町山智浩さん曰く生きるはイングマール・ベルイマン監督の『野いちご』同様、晩年に過去を思い出していく過程で自分の人生が無意味だったことに気づくという内容のトルストイの『イワン・イリッチの死』が元ネタの映画だそうです(イワン・イリッチの死”から直接の影響は無いでしょうが、アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督の『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』も似たような題材)。
これらの作品で主人公に精神的な死と再生をもたらす老い(寿命)や癌(病気)という逃れられない運命を試練と解釈し、命を懸けたギャンブルに置き換え、それを乗り越えることで何も晩年まで待たずとも死と再生の通過儀礼とする・・・・・・生きるという映画に衝撃を受け、その受けた衝撃をそのまま自分なりに作品へ落とし込み次の世代へ伝えたいという衝動が福本伸行という作家の原動力であるなら、福本伸行作品を読んで影響を受けた自分にとってはカイジという作品はまさしく福本伸行先生にとっての生きると同じでした。
最後に
漫画を通じて魂のメッセージを読者に届けるという勝ち目の薄いギャンブルに興じる様は、福本作品の主人公たちの行いに通じる部分があり、その生き様がより作品に凄みをきかせる勝因になっているのだと思います。
リンク
リンク