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[アニメ・レビュー]ソードアート・オンライン オーディナル・スケール 〈感想・評価〉

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トレーラー

 
評価:80/100
 

短評

 
 劇場用作品になったことでTVシリーズからデザイン・作画双方とも非常に堂々とした見映えに進化した。ただ、オーディナル・スケールという根幹の設定に魅力が乏しいなど、弱点部分をアクション作画で強引に押し切る姿勢はTVシリーズから変わらず。
 

あらすじ

 
 2026年。世間では仮想現実へフルダイブ出来るインドア用のVR(バーチャル・リアリティ)デバイスであるアミュスフィアに代わり、アウトドアでも使用可能なお手軽なAR(拡張現実)デバイスオーグマーが流行していた。オーグマーに対応した、現実の街を舞台とするAR(拡張現実)MMO-RPGであるオーディナル・スケール。これまでのカーディナル数(プレイヤー固有のレベルやステータス)を用いるゲームとは異なり、オーディナル数(参加プレイヤー全体のランキング・順位)によって強さが決まるという斬新なゲームデザインや、ゲーム内ランキングを上げれば様々な協賛企業からサービスを受けられるなどゲームの枠を超えた恩恵があり、人気を博していた。
 
 しかし、オーディナル・スケールで開催されたイベントバトルで旧SAO(ソードアート・オンライン)時代の階層ボスが突如出現。イベントに参加していたSAOサバイバーたちの中にはかつての壮絶なトラウマを刺激された直後、SAO時代の記憶を喪失してしまうというケースも。なぜ運営会社が異なるオーディナル・スケールのイベントで旧SAOとまったく同じボスが出現するのか? なぜオーディナル・スケールをプレイしていたSAOサバイバーたちがSAO時代の記憶を次々と失っていくのか? それはオーグマーという次世代ARデバイスに隠された秘密と関係しており……。
 

泣かせアクション作画!!

 
 ややTVシリーズそのままの若干安っぽく見える箇所(モブ演出など)も残ってはいるものの、全体的に劇場作品らしい風格すら漂う抑制が効いた渋いカラーデザインとライティングで統一されたシャープな映像面は堂々としており、TVシリーズの一期・二期を見た後だと「SAOもここまでりっぱで威厳ある映像作品に成長したんだな」と感慨深いものがあります。
 
 特にラストバトルの作画密度はこれまでのSAOシリーズの全アクション作画をブラッシュアップし尽くしたような凄まじさで、初見ではほぼ目で追いきれないほど激しくキレの良いアクションシーンに仕上がっており、ただただ迫力に圧倒されるばかり。それに、ふいにあるキャラクターの幻影が激しい動きの勢いにリンクしたままほぼ完璧なタイミングで画面に映った瞬間、そのキャラクターの思い出が一気に蘇り感極まって泣いてしまいました(多分このキャラの幻影が画面に映る度に今後も泣き続けるんだろうなぁ)。
 
 二期でもアクション作画レベルの高さを利用して物語的な切なさを演出するという高度な手法を用いていましたが、本作はそれをさらに上回り、激しいアクションの最中に、あるキャラクターの思い出と共に、そのキャラクターの激しかった動きの感触そのものを想起させ、頭だけでなく身体感覚まで伴う感動の域に達しています。
 
 キャラの思い出と共に、アクションの感触すら過去の記憶からたぐり寄せて泣かせるという芸当は、アクション作画監督を専門に置き、アクション作画に並々ならぬこだわりを持つA-1ピクチャーズだからこそ出来る職人芸だと思います。
 

VR(現実に似せた仮想世界)からAR(仮想化された現実)に舞台が移ったことの弊害

 
 全体的にアクション作画は素晴らしいのですが、ゲームの舞台が仮想現実からただの現実に移ったことで、色々と問題も生じました。まず、当たり前ですがAR(拡張現実)ゲームがメインとなるため、これまでのSAOやALO(アルヴヘイム・オンライン)、GGO(ガンゲイル・オンライン)のようなバーチャル空間で、ある程度超人的な動きが可能だった設定とは異なり、キリトやアスナ達は生身なのでアクションに大幅に制限を受けてしまう点。人間の身体能力を超えたような派手な加速表現やジャンプ、敵の銃弾を剣で弾くなど、これまでのゲームではほぼ当たり前に出来ていたことが不可能になるので、ゲーム感がこれまで出てきた全てのゲームの中でも突出して地味です。そのため、ハッキリ言ってこのオーディナル・スケールというゲームがまったく面白そうに見えず、流行っているという設定にも説得力がありません。
 
 プラス、本作はこれまでのTVシリーズでは丹念に描かれた、主人公のキリト視点で舞台となるゲーム世界のルールやそのゲーム独自の面白味を時間をかけて説明するという手順を省き、すでにキリトたちはオーディナル・スケールをプレイしてしばらく経っているという状態から始まるため、ゲーム自体への第一印象が新鮮味に欠け極めて薄いです。SAOはキリト自身がVRMMO-RPGの素晴らしさを語り、ALOは現実でもスポーツで体を動かすのが好きなリーファがゲーム内で空を自由に飛べることの楽しさを実演して見せ、GGOはシノンというストイックなプレイヤーを通じてハードな世界観の良さを理解できと、これまで舞台となったゲームはそのゲームの魔性の魅力にとり憑かれたプレイヤーの視点を通して良さを認識できたのに、本作はこの水先案内人の役割を果たすキャラがおらず、世間で流行っているからとりあえずダラダラとプレイしているように見え、魅力がまったく感じられません。
 
 カーディナル数(基数)を用いる従来のMMO-RPG(個々のプレイヤーがレベル上げやキャラビルドをそれぞれ行うもの)ではなく、オーディナル数(序数)を採用しているMMO-RPG(様々なイベントをクリアすることでポイントを獲得し、他のプレイヤーと相対的なランキングのみを競い合う)という、レベルをランキングに、経験値をポイントに置き換えた設定自体は非常に興味を惹かれるのに、設定ほど斬新なゲームに見えません。
 
 いつもはプレイするゲームそのものがキャラクター化し、細かいルール設定や、それをどのように映像で見せるのかという興味が話の推進力を強化していたため、本作はそこがごっそり無く、ただお馴染みのキャラ達が、イマイチ面白味が分からないゲームに興じる様を眺めるだけで、やや味気ないです。
 
 それと、AR(拡張現実)なのでイベントバトルが始まると、周りにある現実の建物のテクスチャがゲームオリジナルのものに貼り変えられるという処理がされ、その処理された後の美術はいいのですが、テクスチャが変わる描写が今どきグリッドのようなものが建物に表示され貼り変わるという、いくらなんでも地味で古臭すぎてダサイので、もう少しド派手に表現できなかったのかと不満でした(周りの建物が全部崩壊して地面から異形の建造物がせり上がってくるものの、オーグマーを外したら現実の光景には何も変化がない、とか)。
 

最後に

 
 伊藤智彦監督が一つ前に手掛けたアニメ版の僕だけがいない街の作風の尾を引いてしまったのかと思うほど、あえて劇場用にトーンを抑制しているにしてもSAOとしてはムダに地味すぎると感じる箇所が多かったり、背景が露骨にトレース丸出しで手前のアニメキャラの線とリアリティラインが乖離して気持ち悪い箇所がたまにあるとか、不満はそこそこありました。
 
 ですが、自分の好みドンピシャの超カッコいい渋めのカラーデザインや、何よりもラストであるキャラの幻影で泣かされて細かい不満はもうどうでもよくなり「SAOシリーズを見続けてきて良かった!」という幸福感に包まれ、非常に満足でした。
 

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